大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

ブログが書けなくなってきたので、なぜ書いているのか内省してみる

ここのところ気分が落ちていることもあって、ここでブログを書くのが億劫だ。

かろうじて毎日更新は続けているが、自分の中で何とか取り繕っている感がある。

わざわざ気分が乗らないときに書くことが、いいのかどうかは分からない。

「書きたくない」から「書かない」ことが、自分を大切にすることかもしれないし、

グダグダ言ってサボってんじゃねーよ、と言うこともできる。

とりあえず、今そんな状態でパソコンの前に向かっていることは確かだ。

いい機会なので、原点に戻って、なぜブログを書いているのか内製してみようと思う。

1.アウトプットのため

そもそもが、ブログを書き始めたのがアウトプットのためだった。

もともとが超絶「SNS食わず嫌い」だった私であったが、2017年3月に根本裕幸さんのリトリートセミナーに参加したときにFacebookへの登録を推奨されたので、渋々登録したのが始まりだった。

当時の私はといえば、肉親との別離を受け止められずに感情をぶった切ってワーカホリックになっていた。

何とか人に頼らず、弱みを見せず、何でも自分一人でやってきたのだが、人間関係でどうしようもなくなって根本さんのカウンセリングを受けるようになった。

15年も経ったけれどようやく肉親との別離を受け止め、感情を徐々に取り戻していく中で、日常の写真を撮ることや日々感じたことをFacebookにぽつぽつと書いて投稿していた。

私自身がネットの広大な海の中で出会った根本さんのブログの言葉に救われたこともあって、ブログには憧れていた。

知人の方に「ブログ書いてみたら?」と勧められたこともあり、去年の8月からここで書くことを始めた。

とりあえずFacebookと同じように、同じように学んだ知識や感じたことを書いてみた。

学んだことは、アウトプットしてこそ血肉となる。

頼りなかったアルバイトが、後輩が入って仕事を教え始めたことでいつの間にか「デキる」バイトに変身することがあるように、書いたり教えたりすることで、学んだ知識は初めて自分のものになる。

これは確かにブログを書いていると実感する。

アウトプットしようとすることで、自分の中に知恵として定着していくのは間違いない。

けれど、それだけかと言われると、少し違うように思う。

一年間ずっと書き続けてきて思うのは、アウトプットだけじゃないな、と。

ここのところ、「アウトプットしたい」という欲求が薄まっているように思う。

2.自分の考えや感情を整理するため

それじゃあ、書くことで自分の考えや感情を整理するためかとも思ったけれど、これもちょっと弱い気がする。

考えや感情を整理するためには、ノートに書き出すのが一番だ。

特に感情なんかは「ぐりぐり」ノートに書き殴って破って捨てるのが手っ取り早いし、

考えをまとめるなら箇条書きで自分の考えを書いていくのがいいように思う。

ブログでは、こうして「読まれること」を前提とするから、文章を整えたり画面の向こう側にいらっしゃる読者の方々を意識してしまう。

考えや感情を整理するため、というのも、私にとっては理由としては薄い気がする。

3.自己承認欲求のため

これは、誰しもがあると思う。

「すごく共感する!」とか「いい記事だね」とか言われたり、アクセス数が多かったり、SNSでシェアされたりすると、やはり嬉しいし、自分が認められた感がある。

でもそれなら、FacebookのようなSNSでやってた方がその欲求は満たされやすいように思う。

顔の見える友人なりの方が、そうした承認欲求を満たしてくれるし、表立って批判されるリスクも少ないだろう。

けれども、それもそうなんだけど、こうしてブログを書くということは本質的にはそれじゃない気がする。

4.お金のため

世の中にはすごい人がいて、ブログを書くことで広告やアフィリエイトでお金を稼げるような方がいる。

たくさんの人が見る、ということはそれだけで価値を生むらしい。

そういうことを考えたりもしてみた。

でも、やめた。

私の中に、お金に対するブロックがあるんだとは思う。

けれど、それを意識して書き始めたら、「ライスワーク」(食べていく為に仕方なくする仕事)と同じになってしまう。

「書くことが好きだから」ブログを書いているのに、わざわざそれを「ライスワーク」にしてしまったら、きっと続かないだろうと思ったから。

だから、とりあえず今はやらないでおこうと思う。

先のことは、わからないけれど。

5.私はここにいます

結局、めぐりめぐってたどり着いた結論は、これじゃないかと思う。

こんなことを考えている私が、ここにいます

ということを世界に紹介したいのではないか、と思う。

そう考えると、ネットの広大な海の中でたまたまこのブログを見つけて頂いた方に、どれだけ刺さるかが大切になってくる。

逆説的だけど、それは「刺そう」と思って書くとコケる。

女性を口説くときと同じだ。
(カッコよさそうだから言ってみたが、語るほど口説いた経験があるわけではないのが悲しいところだ)

こんな考えを持っているのが、私です。

実際、このブログを読んで、面識もないのにわざわざ遠方から会いに来てくださった方もいらっしゃった。

そういった奇跡のような出来事は、限りなく確立としては低いのかもしれない。

けれど書かなければ、確実に可能性は「ゼロ」だ。

ここでブログを書いていると、不特定多数の人に「こんな考えの人間がここにいます」という種を蒔くことができる。

そこで芽生えた縁は、「こんな考えをする私」に共感する人を集めてくれる。

共感しない人は、見ないし寄ってこないだけなのだ。

これは結構すごいリトマス試験紙で、自動的に良縁を選別してくれているようなものかもしれない。

私の中でブログを書く理由は、これが一番大きいように感じる。

今日書いていて、私の中でブログを書く理由がだいぶクリアになったし、、焦らず長期的な視点で、飾ったり嘘をついたりせずに「私」を表現していくことが何よりも大切だと思った。

あ、でもそうするとやっぱりブログを書くのは2番の理由になるのか・・・?

まあどちらでもいいので、とりあえず肩の力を抜いて書き続けて行こうと思った。