ちゃんと、絶望しよう。
彼我の差を認めて、今の自分の至らなさに、ちゃんと絶望しよう。
そこを目を伏せて見なかったことにしたり、
見えてるものを無理矢理抑え込んだり、
ポジティブな思考でいないといけないとか、
思考で判断するのはやめよう。
ちゃんと、絶望しよう。
「良い」というものの裏には、「悪い」というものがいる。
「悪い」ものの裏には、「良い」ものがある。
正しい・間違い、善い・悪い
清い・汚れ、天・地
男・女、晴れ・雨
ハレ・ケ、美しい・醜い
絶望・希望・・・
それらはすべて同じものごとの見方に過ぎない。
「絶望」と書かれた面の裏には、「希望」と書かれている。
生々流転、ゆく川の流れはたえずして、祇園精舎の鐘の声と諸行無常の理の、
この世において、片方だけを見続けることはできない。
ネガティブに見えるものを、
嫌わなくていい。手放さなくていい。解消しなくていい。
一方を受け入れるということは、もう片方を受け入れる、ということだ。
美しく見えるもののみならず、悲しみの際にさえも光を当てること。
それを人は芸術と呼ぶ。
正しいもののみならず、邪なものさえも受け入れること。
それを人は愛と呼ぶ。
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人の歩みは拡散していく螺旋階段のように。
何度も何度も同じ感情を行き来しているように見えながら、階段を登っていく。
嫌な側面が見えたとしても、登るのを止めないことだ。
「絶望」の壁の前では、ちゃんと絶望しよう。