「暑さ寒さも彼岸まで」と言うが、今日からその彼岸入りである。
秋分の日を前後した3日間の7日間が、秋のお彼岸。
昼と夜がちょうど等分され、太陽が真西に沈むこの時期に、人々は「はるか彼方の向こう岸」である浄土に想いを寄せてきた。
季節の移り変わりは、諸行無常と生々流転、そして命の有限さを教えてくれる。
春に淡い色で咲き誇った桜も、いまはその葉の色を暖色に変えていた。
ずっとそこにとどまるものなど、何もなく。
すべては流れ、揺蕩い、やがて去っていく。
それが万物の自然だとするならば、時に「愛」と称されるものの、なんと窮屈なことか。
その流れは、ただ、教える。
その手を、放しなさい。
その目を、閉じなさい。
その身を、委ねなさい。
その心を、開きなさい。
ただ、そのままにしておきなさい。
そう、教えてくれる。
秋には紫が、よく似合う。
平安の昔、貴族たちが愛でたとされる、高貴な色。
春ではなくて、秋の方が似合う。
これから興るものよりも、去りゆくものの方に、敬意を覚えるからだろうか。
なればこそ。
私たちよりも先にその役目を終え、去っていった人たちを想う彼岸に、その紫はよく映える。
過ぎ去りしものと、これから。
その紫のグラデーションは、それを写しているようで。
見上げれば、空の青さ。
その青さは、また一段と澄んで、高くなったようにも見えた。