さて、なんだかんだと続けているストレッチについてです。
ここのところバタバタとしていたこともあり、サボる日もありましたが、週末は久しぶりに気持ちよく身体を伸ばす時間を取れました。
身体と心の関係性は言うまでもないのですが、やはりストレッチで身体を伸ばした後のすっきりとした感じは、何ものにも替え難いものがあります。
何より、ゆっくりと呼吸をすることに意識を向ける時間というのは、心を落ち着けてくれる効果があるようです。
身体を伸ばしながら、呼吸を止めないように、ゆっくりと吐いて、ゆっくりと吸って…大きくなくてもいいので、細く長く、吐いて、吸って、ゆっくりと。
ふだん何気なく生活していても、どうしても肩に力が入り、胸筋が上がり、呼吸が浅くなってしまう。
それを、ゆっくりともとに戻す時間。それが、心地よいのです。
そんなストレッチをしている時間、頭の思考はいろんなところに飛びます。
今日の出来事を思い出していることもあれば、身体の状態に耳を傾けていることもあれば、ぼんやりとできていることもあります。
身体の状態というのは面白いもので、日々異なるようです。
今日はここが硬いなと感じたり、今日はこのストレッチが気持ちいなと感じたり。
そんな中でも、不思議なのが、身体の左右差です。
以前にも書いたような気がしますが、左右で同じストレッチのポーズをしても、可動域も違えば、ストレッチで感じることも違うのです。
左足の方が開かなかったり、右肩の方が痛かったり…同じような身体に見えても、左右対称ではないようです。
以前にマッサージにうかがったときに、施術者の方から「左右の足の長さがだいぶ違う」と指摘されたことがあります。
偏った姿勢を続けていたせいなのか、もともとそうだったのか分かりませんが、身体が歪むと、そうなると聞きました。
足を組んだり、車の運転だったり、左右非対称になる動作も関係しているのかもしれません。
そのときは自覚は全くありませんでしたが、こうしてストレッチをしていると、身体の左右差には否が応でも気づきます。
左に傾けたあとに、右に傾けてみると、全然感覚が違うのですから。
その左右差に気付くと、どうしても左右対称にしたくなります。
硬い方を、気持ち力を入れてぐいぐいとしてみたり。
けれど、それはあんまり気持ちよくないのですね。
ただ痛いだけ、というか。
やはり、気付いたものはそのままにしておくのがいいのかもしれません。
左に比べて、右が硬いと感じる。
その硬いと感じるままでいる。
ただ、なぜだろうと考える。
なぜ、左右差ができたのだろう。歪んでいるのだろう。
いい/わるいではなく、なぜ、そうなったのだろう。
普段の姿勢かもしれないし、ここのところ片方だけを使う機会が多かったのかもしれないし、生まれつきの体型もあるかもしれない。
その原因が分かることもあれば、分からないこともある。
ただ、そうならざるを得ない何かが、あった。
そのことに、想いを馳せてみる。
そうすると、左右差もそんなに気にならなくなってきます。
左右差がある、違いがある、あるいは歪んでいるという「いまの状態」を、受け入れることができるようになるのかもしれません。
どんな左右差でも、違いでも、歪みでも。
それは、いまの自分の状態をつくっているもののはず。
それが悪いものと捉えてしまうと、必然的にいまの自分も悪いものに感じられてしまう。
悪いから直す、と考えてもいいのだけれど、いまの自分を否定してしまうのは、どうもせつない。
だから、その違いが生まれた背景に、想いを馳せる。
あぁ、最近頑張ってたからな。
ここのところ、肩に力が入り過ぎてたかな。
自分のたいせつな身体が、もともとそうなんだな。
そんなことに想いを馳せて、もう少しストレッチをしながら、考えを深めてみます。
最近頑張っていたのは、なぜだろう。
肩に力を入れて、どうしたかったのだろう。
自分の身体を与えてくれたのは、誰だろう。
そうすると、左右差も決して悪いものではない。
むしろ、自分が自分であるがゆえに、そうなったものかもしれない。
そう思うと、左右差も歪みも、無性にいとおしく感じられたりします。
それが、自分をいたわる、愛でる、たいせつにする、ということの一つの方法なのだと、ストレッチをしていると感じます。
さて、そんなふうにものごとを捉えることは、なにも身体の左右差や歪みだけに有効なわけではありません。
いろんな悩み、あるいは問題なんかも、同じように捉えられたら、少し肩の力が抜けるように思うのです。
ただ、なかなか自分一人でそうすることは難しいものです。
どうしても、思考が堂々巡りになってしまったり、一人で何とかしようとしてしまいがちです。
けれど誰かと話すことは、その左右差や歪み、あるいは悩みや問題なんかを、自分にはない視点で気付かせ、受け入れてくれることができます。
信頼できる家族やパートナー、あるいは友人と話すのも、もちろんいいのですが、時にまったく違う視点のカウンセラーと話してみてはいかがでしょうか。
もしよろしければ、私の仲間たちがカウンセリングモニターを募集していますので、一度覗いてみてください。
それでは、私は今日もストレッチをして、ゆっくりと深呼吸したいと思います。
今日もお越しくださり、ありがとうございました。