大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

忘れるということは、思い出すためにあるのかもしれない 〜愛知・犬山市「お菓子の城」訪問記

小さい頃の記憶を鮮明に覚えている人と、割とそうでもない人がいる。

小学生くらいの頃に友達と話したやりとりを詳細に覚えている人もいれば、自分が浸かった産湯のタライの金具の色を覚えているという人の話も聞いたこともあるが、私は後者の方だと思う。

人に比べて、小さい頃の記憶が薄いように思う。

家族や友達と話したことだったり、
どこかへ行ったことだったり、
誰かと遊んだことだったり、

小学生前後の幼い頃の記憶が薄いのだ。

友人と話していると、よくそんな小さい頃の話を鮮明に覚えているなぁ、と不思議になることがある。

そして、昔のことをあまり覚えていないのはなぜだろう、と真剣に考えてみたこともある。

もちろん考えてみたところで、そんなことに原因など分かるはずもないのだが。

けれど、最近になって「忘れる」ということは、私にとってそうする意味があるから、忘れているのではないかと思うようになってきた。

「忘れる」とは、必要なときに「思い出す」ために能動的にしていることなのではないだろうか。

愛知県は犬山市にあるテーマパーク、「お菓子の城」を家族で訪れた。

www.okashino-shiro.jp

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城内でドレスに着替えることができたり、手づくりクッキーを焼く体験ができたり、娘は大喜びしていた。

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着いてから気づいたのだが、ここは「タマゴボーロ」で有名な竹田本社株式会社(旧・竹田製菓)が運営している。

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竹田製菓といえば、「日本一の投資家」として称された故・竹田和平氏が創業した会社。

人気コンサルタントの本田晃一さんも薫陶を受けており、和平さんの教えを綴った本を出版されている。

竹田本社の工場内では、録音された保育園児の「ありがとう」の声を流していることで知られ、出荷までに100万回の「ありがとう」を製品に聴かせることがパッケージにも記されている。

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私はドレスを着て大喜びした娘を見て、懐かしいタマゴボーロを食べていた。

ずっと城内に流れていた「お菓子の城」のテーマソングは、耳から離れなかった。

 

www.youtube.com

アーチをぬけて メルヘンの園

真っ白なバルコニー お菓子の城

だから今日は ガラスの靴で

幸せ探しの 夢主人公

不意に私は思い出した。

あぁ、私は以前にここに来たことがある。

親に手を引かれて来たのだろうか。

私一人を連れてくるとは考えづらいし、やはり姉と一緒に来たのだろうか。

姉は、今日の娘のようにはしゃいでいたのだろうか。

今日と同じように晴れていたのだろうか。

細部は思い出せないが、私はここに来ていた。

見返りのない愛とともに。

人の心の内には、必ずほのかに暖かな愛が眠っている。

ともすると、すぐにその周りに傷や痛みに目を向けがちなのだけれど、必ず眠っている。

そこではすべてが許されるし、何でも受け入れることができるし、何とかなるから大丈夫と信じることができる。

私が幼い頃のことをあまり覚えていないのは、もしかしたら「愛」の層から「痛み」の層に抜け出してしまったときに、思い出すために忘れているのかもしれない。

そう考えると、「忘れる」というのは受動的なものではなくて、能動的な行為なのかもしれない。

大切なものは、全て胸のうちに。

きっと、この心臓の鼓動の音のうちに。

思い出すために、私は忘れていたのかもしれない。

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城内の1階には、和平さん発願と書かれた「天意像」が飾られている。

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希望と慈愛の光を燦々と降り注ぎ 歓喜する天意を表現しました。
天を内に秘めている私たちも 天意を生きるとき至福となります
あなたが 天意を生きられますように 祈念いたします

2000年8月吉日 発願 竹田和平 彫刻 池田宗弘

和平さんの祈りが、大きくなった娘に降り注ぐよう、祈ろうと思う。

そして願わくば、そのときにも「お菓子の城」があのテーマソングとともに娘を迎えてほしいと思う。

帰ってきて城内で焼いたクッキーを頬張ると、「タマゴボーロ」と同じ香りと甘さの味がした。

懐かしい、愛された味だった。

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