今月は、どうもそういう月のめぐりのようで、ご依頼をいただいた文章の締切が月末に重なっていました。
「締切」というのは、イヤなものであり、ありがたいものでもあり。
締切がなければ、何かをつくったり、書いたりということもできないように思います。
かつて、あるアーティストの方が、「締切というのは魔法のようだ」と仰っておられましたが、その通りだなと感じます。
締切があればこそ、その日に向かって整えていくができます。
何の制限も、何のストレスもなければ、何かをつくりだそうという気にはならないのが、人間なのかもしれません。
あ、すいません…私自身のことを、一般化しすぎました笑
締切がなくても、自分を律してなにかをしていくことができる人は、いるかもしれません。
そうだとしても、やはり締切というのは、ありがたいものです。
けれども、締切という言葉の、このストレスフルなこと!
何度も何度も、手帳のスケジュールを横目で見ながら、「あぁ、あと〇日か…」と内心思うわけです。
「大丈夫、まだ〇日もあるさ」という神さまと、「もう〇日しかないぞ、やばいぞ」という鬼軍曹とが、今日もバトルを繰り広げます。
結局のところ、そのバトルに気を取られるうちは、怖いんです。書くのが。
やっぱり、書くことで自分の内面をさらけ出すのは、怖いものです。
それは、自己開示の怖さとは、また違った怖さのように感じます。
いや、一緒なのかな…
何にせよ、ここのところずっと、その怖さとともにいます。
書けなくなる怖さの大方の原因は、背負い過ぎです。
ご依頼をいただいた方の期待に、応えたい。
過剰に、それを背負ってしまっているのは、なんとなく分かるんです。
自分の文章を、ひいては自分を、よく見せたい。
それも、あります。
それも、分かってはいるんですが。
それでも、怖いんです。
やっぱり、期待には応えたいじゃないですか、ねぇ笑
書いたものをどう受け取るかは、読み手の問題であり、それをコントロールしようとするとおかしくなる。
はい、それはそうなんです。
でも、何か与えたいじゃないですか。
せっかく、書くならば。
なんだか、いままでとは書くことの感覚が変わった気がします。
書いては消して、消しては書いて。
あれじゃない、これでもない、と。
波打ち際の砂浜のように。
勢いにまかせて、一筆書きで書くのもいいのですが、いまはそれができないようです。
こっちじゃなかった。書けなかった。
けれども、こっちじゃないことは、わかった。
その波が引き潮になったときに、書きたかった文章があらわれますように。
神頼みのような、そんな心持ちで、白い画面に向かうようになりました。
どうか、今日は書けますように、と。
祈っても、祈らなくても、変わらないのかもしれません。
けれども、祈らないと、怖くてやっていられなかったりもするのです。
さて。
今日は、書けますように。