日々書いていると、時に書かせてもらっている、と感じることがあります。
それは、誰かから依頼をいただいて書く、という直接的な意味だけではなく。
誰にも依頼されずに書いている、日々のブログでも、手紙でも。
書いている、というよりも、書かせてもらっている、と感じることがあります。
それは、自分の中にある情感や、何がしかの風景を切り取って書いている、といよりも。
どこか、そこにあるものを書き留める、つなぎとめる、というような感覚です。
自分の意思というよりも、どこか、触媒になるというか、筆記具になるというか、使っていただくとか、そんな感覚。
まあ、そんな感覚になれるときは、そうそうないのですが、時にそんな感覚になることがあります。
そうしたとき、書き上げたときに感じるのは、達成感でもなくて。
ただ、書かせてもらって、ありがとう、という感謝です。
とても感覚的で、不思議な話なのですが。
たとえとして、合っているかは分からないのですが。
大きなことを成し遂げたアスリートやアーティストなりが、終わった後のインタビューで、必ずと言っていいほど、周りの人への感謝なりを述べるのは、それに近いような気がします。
その舞台に立つことは、もう自分一人の範疇ではない。
いろんな人の、いろんな想いを、応援を、すべて引き受けて、そこにいる。
それが過剰になってしまうと、犠牲の罠に嵌ってしまうのが、難しいところではあるのですが。
でも、どこかで自分の意思を超える地点が、あるような気がするのです。
それを夢と呼ぼうと、使命と呼ぼうと、ライフワークと呼ぼうと、天命と呼ぼうと、なんでもいいのですが。
そうしたものは、どこか自分の意思なり、何なりを超えたところにあるような気がします。
書かせてもらう。
そうしたものを感じる瞬間、言葉はいのちを帯びるのかもしれません。