UKの誇る伝説のロックバンド、「QUEEN」。
全世界でシングルとアルバム合計3億枚を超えるセールスを記録した、モンスター・バンドである。
1991年にリード・ボーカルのフレディ・マーキュリーが亡くなってからも、彼らの音楽は多くのロックバンドやアーティスト、そして聴く人々の魂を揺さぶり続けている。
その代表曲の一つ、「We will rock you」。
誰もが耳にしたことのあると思われる、印象的なオープニング。
1、2拍目で力強く床を踏み鳴らし、3拍目に手拍子、4拍目は休み。
ドンドン、チャ。
ドンドン、チャ。
そして早逝の天才、フレディ・マーキュリーの野太くもしなやかな、魂を揺さぶる歌声。
紛うことなき、20世紀を代表する名曲である。
多くのアーティストがカバーし、そして2018年となったいま現在でも数多くのCMやドラマ、映画などにタイアップされ、様々な場面で人々の魂を鼓舞し続けている。
We will we will rock you.
We will we will rock you.
お前たちをあっと驚かせてやるぜ。
お前たちを揺さぶってやるぜ。
魂の奥底からの叫びのように、どこまでも力強く宣言するマーキュリーの歌声。
平成最後の年に、その歌声にあわせて見返したいレースがある。
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おそらく2019年がそうなるように、1989年という年は「昭和64年」と「平成元年」という二つの元号を持つ年である。
1月7日までが昭和64年、
1月8日からが平成元年という、
時代の移り変わりの特異点ともいうべき年。
その年、1989年11月19日。
京都競馬場、マイルチャンピオンシップ。
1980年代の短距離路線の整備とともに創設された秋のマイラー日本一決定戦も、この年で第6回を迎えていた。
人気を分け合ったのは、2頭の5歳牡馬だった。
一頭は、武豊騎手のバンブーメモリー。
短距離路線を牽引した名馬たちが引退して、大混戦となった同年春の安田記念。
バンブーメモリーは関東の名手・岡部幸雄騎手を背に10番人気で制して、「ターフの魔術師」と称された騎手から調教師へ転身した故・武邦彦氏に初めてのG1タイトルをもたらした。
タイトルホルダーとして王道を歩み始めたバンブーメモリーは、宝塚記念5着、高松宮杯2着のあと、自己条件とも言えるスワンステークスを圧勝して、このマイルチャンピオンシップに駒を進めてきた。
武邦彦調教師が史上初のマイルG1春秋制覇をかけてその手綱を託したのは、実子である若き天才・武豊騎手。
必勝の臨戦態勢、マイルでは負けられない。
しかし、春のマイル王者は2番人気に甘んじることになった。
ファンが1番人気に支持したのは、「あの」芦毛の5歳馬だった。
南井克巳騎手の、オグリキャップ。
「We will rock you」のあのリズムと同じように、誰しもが聞いたことがあると思われる、その馬名。
時代の変わり目に滑り込むように、その芦毛の怪物は1988年に岐阜の笠松からやってきた。
中央転籍初戦のペガサスステークスから毎日王冠まで重賞6連勝。
地方からの転籍馬でクラシック登録がなかったことで、ダービーや菊花賞でスポットライトを浴びる同期とは異なる、古馬混合路線をひた走る。
秋の天皇賞で当時の最強古馬・タマモクロスによって初めての蹉跌を味わい、続くジャパンカップではアメリカからやって来たペイザーバトラーと再びタマモクロスにも先着を許し3着。
それでも、3度目の直接対決となった年末の大一番・有馬記念で優勝。
タマモクロスに引導を渡し、昭和の終わりとともに芦毛のバトンを受け取った。
しかし年が明けて元号が変わった後の2月。
オグリキャップは繋靱帯炎を患い、そこから半年間の雌伏の時を過ごすことになった。
そして怪我が癒えた同年秋、9月のG2・オールカマーで復帰するのだが、ここからオグリキャップの「伝説」となる秋6連戦の綱渡りが始まる。
このローテーションについてはさまざまな意見があるが、事実として残っているのは1989年秋のオグリキャップは、わずか99日間にG1レース4つを含む重賞6つを素晴らしい成績で走り切った、ということだ。
復帰戦のG2・オールカマーを新たなパートナー・南井克巳騎手と快勝したその2週間後、G2・毎日王冠で同年春の天皇賞と宝塚記念を制していたイナリワンを競り落とす。
そのまた2週間後、秋の天皇賞では最内から抜け出す前年の菊花賞馬・スーパークリークと武豊騎手を、大外から猛然と追い込むも届かず2着。
そしてそのまた2週間後が、このマイルチャンピオンシップである。
オグリキャップにとってマイル戦は、前年のニュージーランドトロフィー4歳ステークス以来であり約1年半ぶりとなるが、それでもファンはオグリキャップを1番人気に支持した。
マイルの王道を走るバンブーメモリーと、若き天才・武豊騎手か。
前人未踏の覇道を歩むオグリキャップと、炎のファイター・南井騎手か。
第6回マイルチャンピオンシップの火蓋が切られる。
ゲートが開く。
1番枠からスタートのオグリキャップは出足が鈍い。
久々のマイル戦のペースに戸惑っているのか、それでも白い帽子の南井騎手が手綱をしごいて何とか最内を中団前目まで押し上げていく。
一方、4番枠の赤い帽子・武騎手とバンブーメモリーはその2馬身ほど真後ろを追走している。
800mの標識を通過して、徐々に後続馬が前との差を詰めて馬群が短くなる。
3コーナーから4コーナーに差し掛かる勝負どころ、南井騎手の手が激しく動くが、オグリキャップの反応が鈍い。
その左後方、いつの間にか差を詰めてきたバンブーメモリーが半馬身差まで迫る。
武豊騎手は手応え十分で、バンブーメモリーはどこまでも伸びていきそうだった。
直線を迎えるところ、先に外を回って一気に抜け出したバンブーメモリー。
一方、オグリキャップは南井騎手が必死に手綱をしごいて内を突く。
2頭の脚色がいい。
やはりこの2頭の争いか。
残り200m。
バンブーメモリーが素晴らしい伸び脚で2馬身ほど前に出る。
決まったか。
それは、マイル戦の直線では決定的な差に見えた。
しかし、突き放せない。
南井騎手は豪快なアクションで必死に右鞭を打ち、内ラチ沿いでオグリキャップは必死に食い下がっている。
一完歩、一完歩、また一完歩。
バンブーメモリーとの差を少しずつ、しかし確実に縮めていく。
武豊騎手も懸命に手綱をしごき、左鞭を入れバンブーメモリーを追う。
一完歩ごとに導火線が縮まるようなデッドヒートは、やがてちょうどゴール板の前で2頭の馬体が揃った地点で炸裂した。
負けられない南井克巳!
譲れない武豊!
当時の関西テレビアナウンサー・杉本清氏の名実況を生んだ、2頭の叩き合い。
ゴール板を通過した瞬間、まるで見てはいけないものを見てしまったかのようなカタルシスを見る者に覚えさせた。
最後は首の上げ下げ。
写真判定の結果、鼻差でオグリキャップがバンブーメモリーを差し切っていた。
よくできた演出のような奇跡。
武豊騎手がほぼ完璧にエスコートしたバンブーメモリーを、オグリキャップの奇跡の差し脚は最後の最後で捉えていた。
勝てたかどうかわからなかった。
勝利がわかった瞬間はホッとしたという感じ。
こういう馬に乗っていると幸せな反面、苦しみもあるんだ。
ズブくなっているか、モタついたが、本当にすごいと思った。
ふつうだったらとても届かない。
コメントした南井騎手の目には、涙が浮かんでいた。
その涙は大仕事を成し遂げた安堵だったのか、それともオグリキャップの持つ尋常ならざる力への畏怖だったのか。
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「ふつうではない馬」が、「ふつうではないローテーション」で、「ふつうだったら届かない」ところから差し切って勝つ。
まるでオグリキャップがオグリキャップであるためには、この「ふつうでない」シチュエーションを必要としているようにも見えた。
いったい、人はオグリキャップにどれだけ驚かされ、揺さぶられ、失望させられ、感動させられたのだろう。
「ふつでないローテーション」を歩むオグリキャップは、このわずか7日後に国際G1・ジャパンカップに出走する。
2分22秒2という当時の世界レコード で2,400mを駆け抜けたが、クビ差だけ豪州の女傑・ホーリックスに届かなかった。
その3週間後、有馬記念でイナリワンの逆襲に5着に沈み、灼熱の6連戦を終えるのである。
そしてその5着も、翌年の「奇跡の復活、ラストラン」への布石でしかなかったのかもしれない。
We will we will rock you.
We will we will rock you.
お前たちをあっと驚かせてやるぜ。
お前たちを揺さぶってやるぜ。
QUEENと並び称されたUKのロックバンド、ザ・キンクス。
リーダーのレイ・デイヴィスが語った名言がある。
ロックバンドは次々と現れ、ロックバンドは次々と去るだろう。
でも、ロックンロールは永遠に不滅だよ。
ロックバンドを「名馬」に、ロックンロールを「オグリキャップ」に置き換えてみたくなる、平成初めてのマイルチャンピオンシップ。
QUEENの名曲をBGMにして、もう一度その奇跡の差し脚に酔ってみたい。
We will we will rock you.
We will we will rock you.
お前たちをあっと驚かせてやるぜ。
お前たちを揺さぶってやるぜ。
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マイルチャンピオンシップ、京都競馬場・芝1,600m。
平成最後のマイル王よ、俺たちの魂を揺さぶってくれ。