昔似たようなタイトルの映画があったような。
「いまそこにある危機」だったか。
それはともかく、危機よりも奇跡を見ていたいと思う。
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立春も過ぎたのに、北極圏の極寒の冷気が南下してくるとかで真冬よりも寒い週末になった。
東京競馬場の開催は中止。
20年ほど前の同じ2月に、降雪の影響で芝からダートに変更になった共同通信杯を圧勝したエルコンドルパサーを思い出す。
名古屋の空模様も、寒気が来ていることを示すような厚い雲に覆われていた。
この時期の曇り空と、枯れ木はよく似合う。
そんななか少し見えた晴れ間を狙って、息子と娘と近所の公園で自転車の練習へ。
すぐに娘は自転車に飽きて、地面に落書きを始めた。
けんけん、ぱ。けんけん、ぱ。けんけんけん、ぱ。
童心。
そんな言葉を思い出しながら、私は少し長いアトラクションを飛んでみる。
すぐにベンチへ退散したが、ぼんやりと視線を送っていたその先で、新芽のような草に陽の光が降り注いでいるのが目に入る。
急いでスマホを取り出し、シャッターを切る。
光の加減が、虹のようにも見えた。
光は、私が眺める数秒の間にめまぐるしくその姿を変えていく。
夢中でスマホのシャッターを切る。
白い虹のようにも見えた。
降り注いでいるのは、陽の光のようでもあり、虹のようでもあり、雨のようでもあり、
その逆に地から空へと昇っていく光線のようにも見えた。
終わってからスマホのフォルダを見返すと、虹が写っていた。
奇跡のような一枚。
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いまそこにある奇跡。
考えてみれば、虹だけでもなくて目に映るものすべてがそうなのだろう。
たしか似た名前のあの映画は、麻薬組織の暗躍を「いまそこにある危機」と呼んだような気がするが、その逆もまた然りなのだろう。
気付かないだけで、じつはいまここには奇跡があふれているのかもしれない。
すでに自転車に飽きた娘の代わりに、小さい自転車を漕いで帰りながら、私は撮った虹の写真を思い浮かべていた。
それにしても、幼児用の自転車を漕ぐのは窮屈だ。