時に小雪。
風の冷たさが、日々はっきりと感じられるようになるころ。
きたぐにでは雪がちらつく日もあるが、まだまだ寒さはこれからの節気。
さて、小雪は二十四節気だが、それをさらに細分化した七十二節気では、小雪初めの侯を「虹蔵不見」という呼ぶそうだ。
虹蔵不見、にじかくれてみえず。
曇り空が多くなり、陽射しも弱まるため、 虹を見ることが少なくなる節気。
何とも風流な名前だ。
秋も深まり、色づいた紅葉も徐々に散り始める。
陽射しは弱まり、次第に空気が澄んでくる。
凛として痛いほどに透き通った冬ほどではないが、頬を撫でる風に透明感を感じる。
それなのに、虹は見えなくなるとは。
まだ冬も始まっていない、かつ冬至に向かって日に日に陽の力が弱まっていくいまが、一年の中で最も陰の気が強く感じる時期なのかもしれない。
峠を越すまでが辛いものだ。
辛さ、悲しさなども、感じてしまえば、あとは抜けるだけ。
何でも同じなのかもしれない。
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さりとて、この時期の夜空は別格に美しい。
仲秋の名月もよいが、この時期の透き通った夜空に浮かぶ月の美しさも、また趣深い。
凛とした冬の寒気ではなく、どこまでも澄んだ夜空に、その素顔を映すようで。
なかなかに季節のめぐりというのは、眺めていると面白いものだ。
街灯の灯りの先に、ほのかに光る月。