去年の夏から、息子と一緒にカブトムシを幼虫から育てている。
なんだかんだ言いながら、秋が過ぎ、年が明け、冬を越し、春までやってきた。
何度目かのコバエの大量発生のため、土を入れ替えようとしたところ、とうとうサナギにまでなっていた。
サナギが羽化するまでを過ごす蛹室(ようしつ)を、掘って壊してしまったので、ネットで調べてトイレットペーパーで人口蛹室をつくって羽化を待った。
やがて、一匹目が羽化したため、成虫を飼育するための土や木の枝や葉を入れた虫かごに入れ替えた。
しばらくしてエサの昆虫ゼリーを食べ始め、夜中や明け方にゴソゴソと元気に活動している。
少し遅れて、二匹目が羽化した。
同じように虫かごに移し替えたのだが、何日後かに仰向けになって動かなくなってしまった。
半年以上、お世話をしていた息子はショックだったようで、一緒に泣いた。
なんで?なんで?と聞く息子に、初めて幼虫から飼育した私は、明確な答えを持っていなかった。
やはり蛹室を壊してしまったことがよくなかったのだろうか。
人口蛹室の作り方が、なにかよくなかったのだろうか。
それとも、羽化したときに、羽根が少し変形していて、内羽根がうまくしまえていなかったから、羽化不全だったのだろうか。
自然下でも、羽化したての柔らかい状態のときに衝撃を受けたりして、ある一定数のサナギは羽化不全を起こすらしい。
どの理由も、もっともらしそうではある。
それでも、どの理由かは、分からない。
この手のひらに収まるほどの大きさの虫に、どれだけの奇跡がつまっているのだろう。
かくも、生きるということの偉大さよ。
理由を説明できない私は、息子に悲しいね、とだけ伝えた。
命の灯火は、ときに理由なく消える。
それは、理由なくこの世に生を受けたことと同じように。
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大好物になるであろうはずだった、昆虫ゼリーととも埋葬しに行こうと連れられ、近くの公園にやってきた。
新緑を通り越して、もうすでに夏のように陽射しが強い。
これからまだまだ暑くなるだろう。
自然のカブトムシの多くは、ようやくこれからサナギになり始める頃だろうか。
夏を迎える前に、駆け足でサナギになり、羽化して死んでいった幼虫を想う。
人が通らなそうな木の根元に、穴を掘ってゼリーとともに埋め、土をかける。
ありがとう。
また、いつか、どこかで。
そんなことを息子とつぶやきながら、一緒に手を合わせる。
川沿いを帰ろうと言う息子の提案に、自転車を二台並べて走らせる。
陽射しは強かったが、風の強い日だった。
半袖で出かけて正解だった。
ふと見ると、紫陽花がつぼみを膨らませていた。
もうすぐ、梅雨がやってくる。
また季節はめぐり、新しい花を咲かせる。
心なしか、風は湿っぽいようだった。