家の中での時間の楽しみを増やそうと考えていたら、数年前に頂いて未開封だったゲーム機を見つけた。
「なんだ、それは!」と、食いつく息子。
開封して初期設定をして、以前に遊んでいたソフト「New スーパーマリオブラザーズ」を差し込んでみる。
走る、ジャンプする、キノコを取る、懐かしいコインの効果音、ブロックを壊す…童心に還る、時間。
「はやくやらせろ!」と、抗議する息子。
拙い手つきで、息子はマリオとともに冒険を始める。
幼い頃の、私と同じように。
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マリオ、という存在を知ったのは、いつの頃だっただろうか。
ネットもSNSもなかった時代だが、テレビや雑誌、あるいは友達の口コミから「面白いゲームがある」という情報を得たのだろうか。
私が生まれる前後に「インベーダーゲーム」とやらが爆発的にヒットして、皆がゲーム喫茶に押し寄せた、ということは知識として持っていた。
それが、「スーパーマリオブラザーズ」というアーケードゲームになったらしい、と。
記憶に残っているのは、近所の少し大きめのスーパーの1階だ。
そこに、ゲームセンターのようにいろんな遊技機があった。
「スーパーマリオブラザーズ」の筐体も、そこに設置されていた。
そのコーナーの脇では、お好み焼き、たこ焼き、ソフトクリームといった軽食を売る店舗もあった。
母よりも、祖母に連れて行ってもらったことを考えると、私がそこに通っていたのは、小学校に上がってからのことだったのだろう。
当時、1回50円で遊べた「スーパーマリオブラザーズ」は、人気だった。
1台しか置いていないせいで、いつも子どもが並んでいた。
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その日も、祖母に連れて来てもらったのだろうか。
たまたま、その「マリオ」の筐体に、誰も並んでいなかった。
祖母に小遣いをせびり、ここぞとばかりに遊びつくそうと、私は意気込んだ。
けれど、虎の子の50円硬貨を入れて、ゲームを始めると、私は違和感を覚えた。
1-1の一番初めに、のさのさとゆっくり歩いてくるはずの茶色い「クリボー」が、結構な速さで迫ってくる黒い「メット」になっていたのだ。
その後も、出てくる敵がいつもより強くなっていた。
焦った私は、ミスを重ねてすぐにゲームオーバーになってしまった。
ゲームを一通りクリアすると、難易度の高い「裏面」になると、当時の口コミで聞いていたことを、私は思い出した。
今思えば、店員の方に「普通の難易度に戻してください」と言えばよさそうなものだが、当時の私といえば引っ込み思案の気が強く、そんなことを言い出す勇気はなかった。
その普段よりも難しい「裏面」に、貴重な小遣いは、砂漠に撒いた水のように吸い込まれていった。
悔しくて、涙が出た。
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悔しさを抑えきれず、私はそれを祖母に訴えたような気がする。
誰かが勝手にクリアして、難しくしちゃったんだ、と。
なぜ、あんなにも癇癪を起こしたのだろう。
すぐにゲームオーバーになってしまった悔しさか、自分への不甲斐なさか、それとも、せびった小遣いがびっくりするくらいすぐになくなってしまったことへの罪悪感か。
そのどれも、だろう。
いずれにせよ、あのゲームコーナーは、その苦い記憶と、甘ったるいクリームソーダの味とともに思い出されるのだ。
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その後、「ファミコン」が発売され、自宅でも「スーパーマリオブラザーズ」が遊べるようになり、私は熱中した。
あまりゲーム漬けにならないようという両親の意図からか、ファミコンは近所の祖母の家に設置された。
私は、マリオに会うために祖母の家に通った。
幼稚園から小学校に上がるときに転校した私は、なかなか小学校の友だちというものができなかった気がする。
一人で壁当てをしながら、寂しさを噛みしめていた。
そんな私の寂しさを、マリオはいつも癒してくれていたのかもしれない。
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それから数十年経って、マリオは私の息子とも、友だちになってくれたようだ。
息子は、私と同じように、保育園で仲のよかった友だちの多くと違う小学校に入ってしまった。
また、せっかく仲良くなった友だちが、先日転校してしまったと聞く。
夢中になって画面を見つめる息子に、私は幼い日の自分の姿を重ねる。
好きなことに夢中でいると、きっと気付けば周りに人は集まるものだ。
好きなことに、夢中であれ。
あらためて、エンターテインメントの力はすごいな、と思う。
ありがとう、マリオ。