写真が嫌いになったのは、いつからだったのだろうと思う。
幼い頃の写真が数えるほどしか残っていないのは、私が三番目の子どもだったからなのか、それとも実家を整理したときに失われたからなのか、いまとなっては分からない。
「撮られる」側から、自分で意図して写真を「撮る」側の年齢になった頃、思春期の頃だろうか、まだ私は写真をよく撮っていたように思う。
当時、もちろんスマホなどなく、ちょうど「写ルンです」というインスタントカメラ(たしか「カメラ付きフィルム」という正式名称だったように思う)を抱えて、よく撮っていたように思う。
卒業式、課外実習や修学旅行や部活、そして何かのイベントの打ち上げの写真…まだその頃の私は無邪気に笑って、懐かしい顔の友人たちと写っていた。
下宿して携帯電話を持つようになって、すぐにその画面がフルカラーになり、カメラ機能が付き、「写メール」なるものが世に生まれて、カメラがより身近になって、よく撮っていたように思う。
いまからするとスズメのナミダのような容量の携帯電話本体のメモリーに、どの写真を残すか、いつも迷っては断腸の思いで削除していた。
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そうすると、写真を撮る機会が減っていったのは、両親との別離の後からなのだろうか。
別離の後にワーカホリックにしていた頃、20代後半から30代半ばまでの頃なのだろうが、送別会だとか、仕事関係の写真はあっても、プライベートの写真というものが、ほとんどない。
かろうじて、子どもが生まれた後は彼らの写真を撮っていたが、驚くほど自分が映っている写真や、美しいと思う風景を撮った写真がないのだ。
外界に見るのは自らの内面の投影だとするなら、いかに心を閉ざして何も見ていなかったか、とも言えるし、写真を撮るだけの心の余裕がなかった、とも言えるのだろう。
あの頃、季節の巡りにほんとうに疎くて、いつも衣替えが億劫でしかなかったように思う。
それがいいも悪いもない。
ただ、そうするしかなかった、というだけのことなのだと思う。
切っていた感情を取り戻し、自分の好きなものを思い出していく中で、私のスマホの写真のフォルダは、子どもや家族の写真の他に、美しい風景や美味しかった料理や楽しい飲み会の写真が増えていった。
それらの写真は日々増えていくのだが、いつでもその思い出を見たくて、クラウドや外付けの記録媒体に移せないでいる。
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私が嫌いだったのは、写真というよりも、自分の顔だったのだろうか。
自立をこじらせ、斜に構え、孤独に拗ねていた私は、「写真なんて、そんなに好きじゃないよ」とうそぶいていたのだろうか。
そのうちに、流行し始めたSNSに自撮りをアップしたりする人を見て、「バカじゃないの?」と勝手に見下していた。
ホントは、自分もやりたかったのに、「自分は自分の顔が嫌いだから、みんなも嫌いなはずだ。だから自撮りのアップなんてできない」と勝手に拗ねて、勝手に怒っていただけなんだろうと思うと、赤面しそうなくらいに恥ずかしい。
そりゃ、本当は楽しそうに自撮りをする人みたいに、自分の顔を好きになれたらいいなぁ、って憧れてるのに、どうしても自分の顔を愛せなかったら、自分を正当化しちゃうよな、とも思う。
単に、うらやましい…と思ってる自分がいることを、認められないだけ。
きっとそれは、自分の人生と全く関わりのない芸能人の不倫のニュースを見て、それを正論で叩く心理と同じなんだろう。
正しさを証明したくなる時は、自分の中のデリケートで柔らかな傷ついた部分が刺激されている時なのだから。
まあそれはともかく、いまとなっては、こんな野球観戦前のワクワクの写真をアップしようと思えるくらいにはなってきた。
撮り慣れてない感満載だけれど、それでもいいや。
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学生の頃に出会った友人が、
「私、写真嫌いなの。いまこの瞬間は、私だけのもの。だから、残したくないの」
と話していたのを、思い出す。
とんでもなく美しい音色のヴァイオリンと、魂震わせる演歌を歌う感受性と芸術性豊かな彼女の言葉には、妙に説得力があった。
彼女の中では、それはそうなんだろう。
それでも私は、
地元の神社のものと思われる酒樽の山の前で優しい眼をした祖父と映る写真や、
南極観測船を観に訪れた名古屋港で引率したと思われる祖母と笑う写真や、
家族で訪れた知多半島の夏の海辺の写真や、
今となってはどこか分からない山の頂上で、微笑む母と写る写真を、
いつも手帳に挟んでいる。
その写真たちを、私はふとしたときに見返す。
ただ、ぼんやりと眺める時間。
それは、
ただ、愛に包まれる時間。
写真が好きになる時間。
それは、自分が少し好きになる時間かもしれない。