久しぶりに大好きな映画「SMOKE」を観た。
学生の頃に観て以来、何度も見返すくらい好きな映画の一つだ。
10代、20代、そして30代と人生の中のさまざまな季節を経る度に、違った感傷を受けるのだが、それはきっとこれからも続いていくのだろう。
ブルックリンの街の片隅で煙草屋を営むオーギーは、必ず毎朝決まった時間に店の前の風景の写真を撮ることをライフワークにしている。
店の客で、オーギーの親友であるポールは、閉店間際に煙草を買いに来たついでにオーギーのライフワークである、その4,000枚の写真を見せてもらう。
10年以上も休みなく撮り続けたというその写真を見て、「なぜこんなことを?」とポールは聞くが、オーギーは「なんとなく、さ」と答える。
その膨大な写真の中で、ポールは亡くした最愛の妻の写真を見つけ、落涙する。
その後、ポールが車に轢かれそうになったところを助けたラシードや、オーギーの別れた妻であるルビーなどが登場し、物語を織り成していく。
ラストでオーギーが語る「クリスマス・ストーリー」の回想の、モノクロのシーンだけで、この映画を観てよかったと思える。
トム・ウェイツの歌声が、涙を誘う。
オーギーを出迎えたおばあさんの表情の移り変わりが、もう見事としか言いようがなくて、何度見ても俳優という仕事の凄味を感じさせてくれる。
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とまあ、ストーリーのネタバレは探せばどこでも出てくると思うのだが、今回またこの映画を観て、刺さったのは「嘘とお金」、そしてやはり「ライフワーク」という部分だった。
ラシードが街のチンピラから盗んだ5,000ドルは、ラシードがオーギーの裏仕事として輸入していたご禁制のキューバの葉巻を不注意で台無しにした「詫び」として払われる。
始めは拒絶しながらもそれを受け取ったオーギーは、別れた妻のルビーへ、麻薬中毒の娘を療養させる治療費として渡す。
一見してよくできた循環のように見えるのだが、その循環を支えているのは「嘘」なのかもしれない。
まずラシードがその5,000ドルを持っていることの「嘘」(チンピラから盗んだ)からはじまり、それを受け取ったオーギーは、別れ際にルビーに「ほんとうにおれの子か?」と問うが、ルビーは「わからない。フィフティ・フィフティよ」と答える。
ルビーはほんとうに分からないのかもしれないし、実は誰の子かわかっていて嘘をついているのかもしれない。
それでも、その答えを聞いてオーギーはほんとうにいい表情を見せるのだ。
歳を重ねるにつれ、こうした場面が好きになってきた。
何が「嘘」で、何が「事実」かなど、大した話ではないのかもしれない。
それは、作中で彼らがくゆらせる煙草の煙のように、はかないものなのだ。
大切なのは、それを聴く側の「真実」だ。
それは、いくらでも変えられる。
オーギーが「なんとなく」始めたライフワークの写真。
最後のシーンで、オーギーはそれに使用するカメラが、盲目の老婆からの盗品であることをポールに語る。
その話すらも、オーギーの作り話からもしれない。
けれど、ポールはその話を聞いて満足そうに笑みを浮かべる。
それで、いいのだ。
嘘からはじまるライフワークもある。
そして、それが時に最愛の妻を亡くした親友を癒すこともある。
全ては、煙草の煙のように、不確かで、ゆるやかで、そして儚い。
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あらためて、いい映画だな、と思った。
他にも語りたいイイ場面がたくさんあるのだが、とりあえずこの映画の問題点は、観ていると止めていた煙草が吸いたくなることだ。
どの煙草を吸っているシーンも、カッコいいのだ。
それはともかく、また年を重ねて見てみたい、大好きな映画である。