よく晴れた秋晴れの日、愛知県津島市の津島神社を訪れた。
かつて、生を受け、高校を卒業するまで暮らした、津島市。
その氏神様を、久しぶりに訪れることができた。
かつて、この近くに父方の祖父の自宅兼工場があった。
町工場の鉄工所を営んでいた祖父の家の、鉄の匂いを思い出す。
切削して曲線になった鉄の切りかすが、油に濡れて七色に光っていた。
そんな津島の、氏神様。
とはいえ、そこに住んでいた頃は初詣くらいしか、覚えていない。
かろうじて、境内の酒樽の前で撮ったと思われる祖父と私の写真が残っているが、やはり祖父はよく通っていたのだろうか。
年末年始は、父方の実家でよく過ごした。
神社が近いこともあり、大晦日から元旦に日付が変わる夜中に、初詣の参拝に出かけた。
楼門から入ったあたりに、暖を取るために大きな火が焚かれていて、その火と煙の匂いが、好きだった。
当時はコンビニなども少なく、年末年始はどこの店も休むのが当たり前だった。
年越しの準備をする周りの大人たち、いつもとは違う街並み、どこか異世界に入り込んだような年末年始の空気が、好きだった。
参拝を口実に、いつもはできない夜更かしをできるのも、嬉しかった。
そんなことを、思い出す。
よく、晴れていた。
どこか、翼を広げるような雲の形。
秋の空の雲は、本当に見ていて飽きない。
境内に散在する、小さな末社・摂社。
幼い頃には気にも留めなかった。
全国約3,000の天王社の総本社である津島神社の由緒は古く、飛鳥・奈良時代の欽明朝まで遡るという。
津島神社の創建は欽明天皇元年(540年)で、当初は「津島社」と呼ばれていましたが、奈良時代仏教の伝来と共に「神仏習合」と言う考えが生まれ、御祭神「建速須佐男之命」は「牛頭天王」に替わり、社名も「津島牛頭天王社」と呼ばれるようになり江戸時代まで続きました。
幼い頃、訪れた地の由緒を改めて知ることは、楽しいものだ。
本殿を、やわらかな秋の陽射しが包む。
どこか、時間が止まったような錯覚を覚えながら、いつか歩いた境内を、また歩く。
いつだったのだろう。
あの、酒樽の前で撮った写真。
茫洋としながら、深く優しい眼をしていた祖父。
愛されていたのだろう。
いつか、歩いた道。
その道を、また歩きながら。
不思議と、音が消えたようにも思えた。
楼門に戻ってくる。
かの豊臣秀吉の寄進だそうだ。
いつかの私もくぐった、その門。
今日も、そこにある。
少し車を走らせ、近くの天王川公園にも寄ってみた。
夏祭り、遊具、動物園、藤棚、バーベキュー、片岡春吉像、マラソン大会…思い出は尽きない。
あの日の私も、その日の私も、ここを訪れていた。
そして、今日も。
そこに、ある。
天王川の水は、変わらずその青さを湛えていた。
そこに、あった。