夢を叶えることや、願望実現に抵抗感を覚えるとき。
その原因として、二つの可能性があるように思う。
一つには、世界や人生に対して拗ねていること。
多くの場合はそれなのだが、最近はもう一つ可能性があると感じる。
それは、もう叶ってしまっているか、叶うことが分かってしまっている場合に、そんなことを感じるのかもしれない。
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夢を叶えることや、願望を実現することに、心躍らせ喜びを覚える人たちがいる。
あるいは、その素晴らしさを伝える人たちがいる。
一方で、夢や願望を語ることに、強い抵抗を覚える人たちがいる。
一般的には、夢や願望を語ることへの抵抗というのは、自分の外の世界の拒絶であることが多い。
「どうしても叶わなかった夢」、「愛されなかった過去」、「笑われて色褪せてしまった願望」…そうした経験が、「どうせ私の夢なんて叶わない」という人生への「拗ね」となり、それが夢や願望を語るときの抵抗となることがある。
その「拗ね」の多くは、親からの愛情を受け取り損ねた傷から来ている。
どうしても欲しかった親からの愛の形と、親が与えてくれた愛の形。
その違う形のパズルを無理矢理はめようとした結果、うまくはまらずに疲れ切って、傷つき、「もう、そんなものいらない」と諦めてしまう。
ところが、どうしても欲しかったそれが得られなかったという想いは、簡単には諦められることなどできない。
子どもの中では、親=世界のすべてだからだ。
世界じゅうから愛されなかったという傷は、簡単に癒えることはなく、塞がったように見えて、かさぶたの下でずっとジュクジュクと生々しい傷が疼いている。
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夢や願望を語るのに抵抗があるとき、
『わたしの夢、応援して!』
と素直に言えない。
誰に?
そう、『親に』、だ。
どんなにくだらない夢でも、しょうもないような願望でも、『わたしの夢なんだから、応援して!』と言えない。
それはすなわち、
『どんなにダメな私でも、あなたはそのままでいいって言って、愛して!』
と同義であるし、
『世界じゅうの誰よりも、私だけを見てほしい!』
と同義でもある。
さんざん、親からのそれが欲しくて欲しくてたまらないのに、それが得られなかった痛い経験から、その言葉は心の奥深くに仕舞われ、隠される。
あなたが与えてくれないなら、もう言わない。
いや、言ってあげない、と。
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人の数だけ、愛の与え方がある。
「愛しているよと言葉で伝える」というものもあれば、「毎日お弁当を詰める」もあれば、「働いてお金を稼ぐ」もあれば、「だっこして背中を撫でる」もある。
「一緒にいる」と「離れて見守る」は正反対だが、どちらも人によっては愛の与え方になる。
「千尋の谷に突き落とす」が愛だと思う親もいれば、「どんなことでも褒める」のが愛だと思う親もいれば、「厳しく叱りつけて躾をする」のが愛だと思う親もいる。
そう考えると、その傷をつくったすれ違いとは、実は単なる勘違いだったのかもしれない。
そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
ただ、そうかもしれないという選択肢を持つことは、凝り固まった心の中に空白のスペースをつくる。
そのスペースが、次第にジュクジュクした傷を乾燥させていく。
かさぶたは、いつか剥がれる。
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癒しとは、見方を変えること。
「愛されていなかった」という見方もできるかもしれないが、「愛されていたのかもしれない」という見方をすることもできる。
それは、いつでも自分で選ぶことができる。
拗ねたっていいし、甘えたっていい。
癒しが進むと、人の心は軽く、自由になる。
『どんな私でも、大好きで仕方ないんでしょ?』
と言えるようになるし、
『わたしの夢ややりたいこと、応援して?』
と言えるようになる。
言える、ということは、断られてもそれを尊重する、ということだ。
『えー、応援してほしかったのにー。残念だなぁ』
と思いこそすれ、応援してほしいという自分の気持ちに殉ずることができる。
それは、『応援してほしい』ということを言えないのとは、大きな違いがある。
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もしも、夢や願望を語ることに、抵抗を覚えるとしたら。
もしかしたら、気付かないうちに自分の外の世界の拒絶しているのかもしれない。
その固く閉ざされた扉の鍵は、自分が持っている愛の形では開かない。
その扉を開ける鍵は、親が与えてくれた愛の形をしているのだ。
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ということで、冒頭に書いた「夢や願望を語ることに抵抗がある場合の、二つの可能性」のうち、一つ目で終わってしまった。
長くなったので、もう一つはまた明日。
夕暮れどきの雲も、その鍵の形をしているのかもしれない。