大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

不機嫌な態度、不愉快な言動を取る人はとても傷ついていて、あなたの愛を求めている。

不機嫌な態度、あるいは不愉快な行動を取る相手は、とても傷ついているのかもしれません。

そして、あなたの愛を求めているのかもしれません。

人を愛することのリーダシップについて、お伝えしたいと思います。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.不愉快な行動をとるほど、その人は強く愛を求めている

その人の人生最悪ともいえるときに、あなたのほうからすすんで援助すれば、その人は歩みをとめず成長しつづけることができます。

パートナーであれ家族であれ、また職場でも、相手の行動が認められず好きにはなれなくても、その人そのもの、その人が本当にこれからなろうとしているものを尊重していることを知らせてあげましょう。

 

あなた自身は不快さを感じていても、相手が不愉快な行動によって助けを求めてくることに、すすんでこたえてあげてください。

それはリーダーシップの重要な役目であり、人を愛するうえでの大きな試練なのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.196

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2.不愉快な行動とは、あなたの愛を求める叫び

愛に飢えた人は、どんな行動を取るのか

今日のテーマは、本書が描く人間関係の、根幹ではないでしょうか。

私が心理学を学んできて、今日のテーマを知ることができたときに、目からウロコぼろぼろだったように覚えています。

それは、「不愉快な行動を取る相手は、とても傷ついていて、あなたの愛を求めている」という真実です。

これ、子どもがいる方は、とてもよくわかるのではないでしょうか。

子どもが、悪態をついたり、わざと手をかけさせるようなことをしたり、感情的になったりするとき。

それは多くの場合、親の興味を引くためです。

「もっと、こっちを見てよ」
「わたしは、ここにいるよ」
「僕の目を見て、愛してると言ってよ」

そんなことを、伝えるためです。

意識的にせよ、無意識的にせよ、親の方でもそれがわかってはいると思います。

それでも、どうしても手が離せなかったり、あるいは心理的なブロックがあったりして、なかなか子どもに向き合うことができないときもあります。

そうすると子どもは、ますます悪態をついたり、暴言を吐いたり、暴れたりするわけです。

ありますよね、ほんと…

これ、子どもに対してだと、分かりやすいと思います。

けれども、これと同じことが、パートナーとの間で起こると、なかなかそうは見えないわけです。

「はぁ?なにその態度?」
「悪いのはそっちなのに、なに開き直ってんの?」
「いつまで拗ねてんの?ガキじゃないんだし!」

…などなど、思ってしまいますよねぇ、ほんと。。。

しかしながら、それを少し違った視点で見てみるわけです。

自分に不愉快な態度や行動を取るのは、なぜだろう。

どういうときに、人は相手に不愉快な態度を取るのだろう。

その問いを考えることは、実に私たちの世界を広げてくれます。

どんな人が、暴言を吐いたりケンカをふっかけるのか?

たとえばの話なのですが。

「あぁ、なんて気持ちがいい季節になったんだろう…ほんと、幸せだなぁ。さて、パートナーにケンカでも吹っ掛けてやるか」

「今日はずっと楽しみにしていた、推しのコンサートの日だ!そうだ、パートナーに暴言でも吐いてやろうかな」

「ずっと思い描いていた夢が叶って、ほんとに日々満たされているな。あ!パートナーに無理難題を言って、困らせてやろう!」

…そんな風に思う人は、いるでしょうか。

いませんよね。

自分に不愉快な態度を取ってくる相手(特に関係性が近しい相手)は、例外なく、傷ついていて、愛を求めています。

だから、不愉快な態度や暴言という表現方法ではなく、素直にそのことを伝えられる人は、とても強い人なわけです。

とても成熟した人、ともいえます。

けれども、なかなか、そういったコミュニケーションを取ることは、難しいですよね。

多くの場合、そうした素直なコミュニケーションを取るかわりに、不愉快な態度を向けることを選んでしまいます。

もちろん、無意識的にそうしてしまう場合もありますよね。

はい、私も思い当たる節がありすぎて、書いていて痛いわけですが笑

 

ある意味で、この見方はとっても酷に見えるかもしれません。

だって、不愉快な態度を取ったり、暴言を吐いたりする人の「肩を持つ」ように、見えるからです。

「なんで?傷ついているからって、不愉快な言動をしてもいいの?それを容認するってこと?」

と思われるかもしれません。

そりゃ、そうですよね。

ただ、この見方は、「傷ついていたら、相手に対して不愉快な態度を取ってもいい」といっているわけではありません。

それに、明確な悪意を持っていたり、あるいは心身に危害を覚えるような、そんな言動の場合は、別です。

ただ、不愉快な言動や態度を取ることが、いけないことだ、悪いことだということは、それをしている本人が、一番よくわかっています。

「ほんとに?全然そうは見えないんだけど…」

と思われるかもしれません。

けれど、ほんとなんですよ。

不愉快な態度を向けてきたり、暴言を吐いたりしてくる人。

その人は、とても傷ついた人である。

その言動は、あなたの愛を求める、悲痛な叫びである。

それは、私の中で、最も偉大な学びの一つです。

3.自分のなかの傷と向き合う恩恵

まずは、自分を癒すことから

さて、だからといって、その相手の傷を、すぐに癒しにいかないことです。

愛したい人、愛情深い人ほど、相手の傷や痛みを、どうにかしよう、癒そうとします。

それ自体は、とっても素晴らしいことです。

けれども、往々にして、その試みはうまくいきません。

共倒れになってしまいます。

それよりも、何よりも。

まずは、自分自身と向き合い、その傷を癒すことから始めることをおすすめします。

パートナーなどの親しい関係にある相手の言動に、何らかの痛みを感じるとき。

それは、自分のなかの傷や痛みが、反応しているときです。

パートナーは鏡、とよく言われる通りです。

その鏡のなかの相手に、アプローチしようとしても、なかなかうまくいかないわけです。

それよりも、なぜ、その言動を自分は不愉快と感じるのだろう。

なぜ、あの言葉に自分は傷つくのだろう。

そちらの方に、目を向けていくわけです。

それが、自分と向き合う、ということであり、また自分を癒す、ということでもあります。

相手を癒そう、助けようとするよりも、まずは、自分自身から。

これは、どんなときも忘れないようにしたい、鉄則です。

問題が問題でなくなるとき

さて、自分が癒されていくと、どうなるか。

傷つかなくなるんですよね。

相手がどうであれ、何をしても。

状況がまったく変わらなかったとしても、相手が同じような言動をとってきたとしても。

なぜか笑っている時間が増えるし、なんとかなるって思えるし、このままでもいっか、とすら思えたりもする。

相手に、振り回されなくなるんです。

いわば、問題が問題でなくなるわけです。

いつしか、問題が気にならなくなったとか、問題があることを忘れてしまった、と気づく自分がいるわけです。

ときに、パートナーが不機嫌な、不愉快な態度を取ったとしても。

その相手のなかにいる、傷ついた小さな子どもを見つけることができます。

表面的な言動に振りまわれることなく、ただただ、「大丈夫だよ」と伝えられるかもしれません。

それが、相手にとって、どれくらいありがたいことでしょうね。

 

あなた自身は不快さを感じていても、相手が不愉快な行動によって助けを求めてくることに、すすんでこたえてあげてください。

それはリーダーシップの重要な役目であり、人を愛するうえでの大きな試練なのです。

引用文の、最後のこの一文は、そんなことを教えてくれます。

人を愛するための、リーダーシップ。

私のこの長いブログを読むような方は、きっとそんなリーダーシップを持っておられる方だと思うのです。

私がカウンセリングでお伝えしたいのは、そんなことなのかもしれません。

今日も、ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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