「復讐」とは、自分が失敗したり不幸せになることで、自分にとって大切な人に仕返しをしようとする心理のことです。
しかし、逆から見れば、失敗を失敗と思わなければ、その心理は手放すことができます。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.すべての失敗には、復讐がひそんでいる
私たちが失敗するときは、自分にかかわる重要な人々、とくにパートナーに仕返しをしているのです。
また人生のすべての失敗は、両親への復讐の一種でもあります。
人生であなたが失敗したところをすべて見てみましょう。
とくにいま挫折を味わっているところを見て、「私はだれに復讐しているのだろう。それは何のために?」と自問してください。
個々の内容を小さなリストにしたら、今度はこう質問しましょう。
「この人たちに復讐するためだけに、私は人生で失敗をくり返したいのだろうか」
それらをすべて手放したとき、成功への道が開かれます。
復讐と傷はつねに一体になっています。
ですからいまだに傷を感じているところでは、復讐しつづけているのです。
すべての傷はあなたをちぢみこませます。
あなたは傷つくたびに心を小さくおしこめてきました。
それはある出来事によって、なぜか自分が軽蔑されたとか、あなどられたように感じたからです。
傷ついたり抵抗を感じたとき、人はその状況を利用して自分を実際よりも小さくしようとするのです。
昔の傷を忘れて抑圧したずっとあとまでも、復讐や失敗が続くことがあります。
そこで、ちぢこまっている状態から自分を引っぱりだすことが大切です。
どんなかたちでも敏感に反応すること、またあらゆる許しや、与えることもよい方法です。
ほかにも流れをつくりだすものは数多くあります。
たとえば感謝、理解、信頼、統合、執着を手放す、そして、コミットメントなどです。
こうしたものが、心を凍りつかせてしまった停滞と収縮からあなたを脱出させてくれます。
あなたが痛みに対処できるようになるまで、停滞と収縮によって自分自身を閉じこめ、ガードしていたのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.460,461
2.失敗とは、復讐の一種
今日のテーマは、「失敗と復讐」でしょうか。
胃もたれしそうな字面ですが、そうならないように書いてみます笑
「私がこんなにも不幸なのは、あなたのせいだ!」
まずは、「復讐」の心理について、少し触れてみます。
心理学においての「復讐」とは、自分が幸せにならないことで、相手に復讐しようとする心理を指します。
ものすごく傷ついている姿。
再起不能のパンチをもらったボクサーのような姿。
不幸という不幸を、すべて背負ったような姿。
そうした姿を、相手に見せつけることによって、心のなかでこう叫ぶのです。
「ほら、見てごらん!私がこんなにも不幸なのは、誰のせいか知ってる?誰でもない、あなたのせいなのよ!」
「そんな私を見て、まさかあなただけ幸せになろうってんじゃ、ないでしょうね?」
はい、相手の罪悪感とつながろうとする試み、といえるかもしれません。
そうやって相手に「復讐」するためには、自分の傷が深ければ深いほど、有効です。
だから、「復讐」の心理がはたらくと、自分をどんどん不幸せな方に追いやってしまいます。
そして、この「復讐」は、自分にとって近しい人、重要な人ほど、その力学がはたらきます。
愛憎、という言葉がある通り、私たちが「復讐」をしたくなるほどにエネルギーを使える人というのは、限られています。
だから、親やパートナーというのは、「復讐」の標的になりやすいわけです。
「復讐」のもとになるのは、古い傷
自分にとって重要な相手にほど、「復讐」はしたくなるもの、
しかし、なぜ重要な相手に、わざわざ「復讐」をしようとするのか。
それは、その相手に「傷つけられた」と感じるできごとが、過去にあったことが挙げられます。
その「傷つけられた」できごとというのは、なにも悪意を持ってそうされた、ということに限りません。
重要な人、大切な人にほど、愛されたかった。
けれども、自分の欲しい形での愛を、与えてもらえなかった。
自分の愛を、その相手に伝えたかった。
けれども、相手はその愛を、受け取ってくれなかった。
自分の求める形での愛せなかった、愛されなかった。
そう感じたとき、私たちは深く傷つきます。
それが、「傷つけられた」の意味です。
それは、何も悪意を持って傷つけようとした、というわけでもないわけです。
人の求める愛のかたちというのは、ほんとうに人それぞれ、千差万別です。
そして、たとえそれが合致していたとしても(それ自体も、ほんとうに奇跡とも呼べるようなことだと思うのですが)、何らかの都合で、それを与えられなかったり、受け取れなかったりすることなんて、いくらでもあるわけです。
忙しくて、なかなか話を聞けなかった。
自分がいっぱいいっぱいで、ひどく怒ってしまった。
望むものを、与えてあげられなかった。
決して、傷つけようとしたわけでもないのだけれども。
人と人の間には、そんな切ないすれ違いが起こることがあります。
そうした古い傷が、私たちを「復讐」の心理に駆り立てるようです。
そう考えると、「復讐」という心理は、おどろおどろしいものでもなく、とても切ない心理であり、人の業(ごう)のようにも感じられます。
罪悪感しかり、癒着しかり、エゴもしかり。
ネガティブと思われる心理は、どれもそうなのですけれどね。
3.失敗を決めるのは、誰なのか?
王道は、許しと手放し
こうした「復讐」の心理を癒していくためには、今日の引用文でもある通り、許しであり、手放しであり、理解であり、感謝やコミットメントといったものが必要になります。
王道は、許しと手放しでしょうか。
古い傷とともに抑圧されたネガティブな感情を解放し、そして空いたスペースで理解をする。
「あのときは、彼にも事情があったのかもしれないな」
「自分が親と同じ状況になったら、同じことをしていたかもしれない」
そうした感情的理解を重ねていくと、
「あぁ、すれ違ったかもしれないけれど、彼も彼なりに愛そうとしてくれていたんだな」
と、愛を受けとれるようになったりします。
「復讐」しようとする相手への執着を手放し、そして許しにいたる、偉大なプロセスです。
許しや手放しについては、これまで何度も取り上げてきましたので、今日は少し違った視点からお伝えしてみたいと思います。
失敗を、失敗と思わない
「復讐」の心理をもっていると、自分が失敗するような選択をしたり、自分は失敗ばかりだと感じるものです。
それはそうですよね。
失敗ばかりしていた方が、その相手への「復讐」になると思っているのですから。
これを、逆に考えてみると、失敗しなければ、「復讐」もないわけです。
失敗しない。
こう書くと、どこかのドラマの凄腕外科医の言葉のように聞こえますね笑
失敗しないような、すごい自分になれ、というわけではありません。
そうではなくて、「失敗を失敗と思わない」という方が近いでしょうか。
失敗かどうかを決めるのは、自分自身です。
すべてのできごとは、本来はニュートラルであり、無色透明です。
失敗だと思っていたことが、後から成功の種になるということは、よく聞く話です。
人生最悪だと思っていたできごとが、振り返ってみれば最高の自分への転換点だったということも、人が生きる中では起こります。
月並みな言い方ではありますが、自分の心のありようによって、そのできごとが失敗なのか、成功の種なのか、肥料なのかが決まります。
そのような心のあり方をしていったとき、「復讐」の刃は、その矛先を失います。
だって、失敗ではないんですから。
どうあっても、それは過程であり、経験。
そうとらえられたら、ずいぶんと楽になるのではないでしょうか。
なかなか、そうは思えないでしょうか。
「そんなことは、きれいごとだ!」と思われますでしょうか。
けれど、ほんとうなんですよ。
あなたがあなたとして、そこにいること。
それだけで、もう最高の成功です。
そんなことない!と思われますでしょうか。
あなたがどう思っていたとしても、そうなんです。
あなたの大切な人は、きっとそう思っていたはずです。
あなたは失敗なんかしない。
あなたは失敗なんかじゃない。
あなたの道を、みんな応援しているから。
それが、どんな道であっても、どんに長くても。
その道を歩むあなたを、ずっと応援しています。
ずっとずっと、応援しています。
今日は「失敗と復讐」というテーマで、お伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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