大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

親を不幸せにしてしまったという幻想と、その奥にある愛。

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自分のせいで、親を不幸せにしてしまったという罪悪感は、辛いものです。

愛が深いゆえに、強くそう感じてしまうのかもしれません。

けれど、ほんとうに親は不幸せだったのでしょうか。

誰も悪くないという見方と、愛に寄せたイメージについて、お伝えします。

オンラインカウンセリング無料相談・ココロノマルシェに寄せられたご相談に、回答させていただきます。

【私に非があった場合は、罪悪感を持って当然だと思うのですが、私は悪くなかったとは、とてもじゃないけど、言えないのです。】

根本先生の罪悪感がなくなる本を読んで質問があり、投稿させていただきます。

親との関係で自分が子供の頃、親を幸せに出来ずに罪悪感を感じることについて、言及されていて、でもそれは、子供のせいではないとおっしゃっていただいているのですが、私の場合、子供の頃、拗ねることが多く、忙しい共働きの両親の、せっかくの休日を、台無しにしてしまったりしました。

今でも、両親の幸せのためならなんでも出来ると思ってしまいます。

私に明らかに、非があった場合は、罪悪感を持って当然だと思うのですが、私は悪くなかったとは、とてもじゃないけど、言えないのです。

自分が、誰かと幸せになることにも、罪悪感を覚えると思います。若い時に同棲した人とは、親に強く強く反対されて、別れました。いまだに独身です。

実家を出る時も相当止められましたが、出てしまいました。罪滅ぼしで、毎週帰っていましたが、コロナ禍で帰らなくなりました。

(mone さん)

moneさん、ご相談ありがとうございます。

文筆家・心理カウンセラーの大嵜直人が、回答させていただきますね。

まずはmoneさん、めっちゃ勇気ありますね!

え?何がって?

いやいや、もちろん、根本先生の「いつも自分のせいに罪悪感がすーっと消えてなくなる本」(ディスカヴァー・トゥエンティワン出版、以下は「罪悪感本」と表記します)を読みこんでおられることです!

罪悪感って、めちゃくちゃ向き合いたくない感情です。

私自身も、罪悪感をたんまり抱えて、罪悪感にまみれて、日々生きております笑

なので、この「罪悪感本」は、全部自分のことが書かれているような気がするし、気分が沈んでくるんですよね・・・

そんな罪悪感と、本を通じて向き合おうとされたmoneさんは、とっても勇気があると思います。

それだけでも、素晴らしいです。ほんとに。


 

さて、moneさんが書いておられる「子供のせいではない」という箇所は、「罪悪感本」のこのあたりでしょうか。

(罪悪感を大いに刺激されながら、ちゃんと読み返したんです!えらいでしょ笑)

親が不幸せそうなのは、「すべて私が悪いから」

幼い子どもにとって、親は「完璧な存在」に映ります。

親は自分にはできないことがたくさんできるし、自分よりも大きいし、自分の知らないことをたくさん知っています。だから、親に怒られるのは「全部自分が悪い」と思いこんでしまいます。

ご飯をこぼして怒られたら、自分が悪いんです。お片づけができないのも、服を上手に着られないのも、お手伝いができないのも、頼まれたことを忘れちゃうことも、全部、自分が悪いんです。

だから、親の言うとおりにできないとき、幼い私たちは罪悪感を覚え、自分を責めるようになります。

大人になれば「そんなの当たり前じゃん」とか「それは単に親の機嫌が悪かっただけじゃないの?」とか「それは親が厳しすぎるよ」とわかることでも、子どもたちにはそれはわかりません。

「罪悪感本」、p.81,82より

親が不幸せそうにしていると、子どもは罪悪感を抱く、と説明されている箇所ですね。

親を幸せに、笑顔にしたかったけれど、それができなかった。

そうしたときに、子どもは「自分が悪い」と罪悪感を抱いてしまう。

けれども、それは子どものせいでも何でもない。

大人になると、そう分かることでも、なかなか子どもたちがそう思うことは難しい、と。

しかしmoneさんは、それに対して、こう感じておられるのですね。

>私に明らかに、非があった場合は、罪悪感を持って当然だと思うのですが、私は悪くなかったとは、とてもじゃないけど、言えないのです。

大人になったmoneさんでも、「私の方に非があったし、悪かった。だから、罪悪感を持って当たり前だ」と感じておられるのですね。

どれだけ、ご両親への愛情が深いんでしょう!

と、私はすぐ思ってしまうのですが、moneさんからすると、なかなかそうは思えないですよね。

moneさんはなーんにも悪くないし、それどころか、その真逆だと思います、ということを、これから全力でお伝えしたいと思います。

ということで、ようやく本題です。


 

moneさんのご相談文の中で、一番強い痛みを感じる部分は、やはりここでしょうか。

>親との関係で自分が子供の頃、親を幸せに出来ずに罪悪感を感じることについて、言及されていて、でもそれは、子供のせいではないとおっしゃっていただいているのですが、私の場合、子供の頃、拗ねることが多く、忙しい共働きの両親の、せっかくの休日を、台無しにしてしまったりしました。

最初に書くくらいですから、やはりmoneさんの中で最も引っかかりがあるように感じます。

子どもの頃に拗ねて、忙しいご両親の貴重な休日を台無しにしてしまったこと。

それに、強烈な申し訳なさ、悪いことをしたという後悔があるからこそ、

>今でも、両親の幸せのためならなんでも出来ると思ってしまいます。

このように、ご両親への想いを表現されるのでしょうから。

自己犠牲的な部分があるとはいえ、
「両親の幸せのためならなんでも出来る」
と真摯に表現できる、真っ直ぐで美しい強さを、moneさんはお持ちです。

そんなmoneさんですから、お書きいただいた出来事は、非常に辛いものだと私は感じます。

何が辛いか。

申し訳なさや、後悔というのは、もちろんそうだと思うのですが、
「自分以外の誰も、悪者にできない」
という点が、moneさんにとって、辛いのではないかと感じるのです。

休日が台無しになって、ご両親がどんな表情や態度をされたのかは分かりません。

けれど、moneさんは「両親を不幸せにしてしまった」と感じてしまった。

大切な人が不幸せになることは、大事件です。

それは、moneさんのようなやさしい方にとっては、なおさらです。

そんな大事件を引き起こした犯人は、誰だろう。

ここで「両親が悪かった」とすることも、できるのかもしれません。

言ってみれば、「あちらにも原因があるのだから、不幸せになるのは当たり前だ」という割り切り方でしょうか。

けれども、moneさんはそれをされなかった。

大切な人を、責めることをしなかった。

その代わりに、moneさんご自身が悪かったのだと、思うしかなかった。

ご自身を犯人にして、悪者にして、責めるか、なかった。

愛が深いゆえに、
その痛みもまた、大きいものだったかもしれません。

よく、ご自身を犠牲にしてまで、愛を貫いてこられましたよね。


 

さて、そのように見ていった上で、この部分にお伝えしたいことがあります。

>私に明らかに、非があった場合は、罪悪感を持って当然だと思うのですが、私は悪くなかったとは、とてもじゃないけど、言えないのです。

ここでmoneさんが書いておられるのは、もしかしたら、次のように考えておられるからかもしれません。

「『私が悪くなかった』と言ってしまったら、『両親が悪かった』ことになってしまう」
「だから、『私が悪くなかった』とは、言えない」

moneさんの感じておられるところと、近い部分はありますでしょうか。

もし、そうだとしたら。
一つ、お伺いしたい問いがあります。

誰かが悪くなかったら、必ずそれ以外の誰かが悪くなければ、いけないのでしょうか。

誰も悪くない。
私も悪くないし、あなたも悪くない。
moneさんも悪くないし、ご両親も悪くない。

そういうやさしい世界は、存在しないでしょうか。


 

そう考える上で、大切な視点があります。

それは、この「大事件」の、最も根本的な部分です。

moneさんは、ご自身が拗ねたことで、ご両親の貴重な休日を台無しにしてしまったことで、「ご両親を不幸せにしてしまった」と感じている。

果たして、それは本当でしょうか。

私が拗ねたせいで、両親の休日を台無しにした。
とても、幸せにしたとは思えない。

やさしいmoneさんのことですから、そうおっしゃるかもしれません。

ご両親にとっては、どうだったのでしょう。

ご両親は共働きで、お忙しかったのですよね。

そのことで、moneさんは寂しい想いをされてきたのかもしれません。

けれど、それはもしかしたら、ご両親もまた、同じだったのかもしれません。

お仕事の日は、なかなかmoneさんと話す時間も取れず、ご両親も申し訳なさや、罪悪感を抱えていたのかもしれません。

 

だとしたら。
貴重なお休みの日に、ご両親が望んでいたことは、何だったのでしょうね。

moneさんと、一緒に過ごす時間だったのでは、ないでしょうか。

たとえ拗ねても、ぐずっても、わがまま言われても。

moneさんと過ごす休日は、かけがえのないものだったのでは、ないでしょうか。

それが、どれくらいご両親にとって、喜びだったでしょう。

むしろ、いつも寂しい思いをさせているから、わがままの一つや二つ、聞いてあげたいとすら、思っていたかもしれません。

 

なぜそう思うかって?

私自身が、親として、そうだからです。

もちろん、ぐずられたり、拗ねられたり、気まぐれな子どもたちには、振り回されてばかりです。

疲れもするし、時にはイラっともしますし、不機嫌になったりもします。

その度に、子どもたちに申し訳ない・・・と思い、罪悪感を感じ、自分を責めてしまいます。

心理学を学んでいようが、カウンセラーを名乗っていようが、この通りです笑

でも、だからといって、「子どもといると不幸せか?」と問われたら、全力で首を振ります。

大切な存在であるmoneさんとご両親が、一緒に過ごせた時間。

それは、moneさんにとっては、罪悪感のかたまりのような時間かもしれませんが、ご両親にとっては、宝物のような時間だったのかもしれません。


 

究極的には、ですが。

子どもは、もう生まれてきただけでよくて。

それだけで、親を幸せにしているのだと、私は思います。

moneさんが、生まれた日。

その日、どんな空が広がっていたのでしょうね。

その空を見て、ご両親は、どんなことを感じていたのでしょうね。

出産という、人智を越えた奇跡だからこそ、怖さも当然あったでしょう。

不安も、あったことでしょう。

いろんな感情が、交錯していたかもしれません。

一分、一秒が、永遠のように感じられたかもしれません。

けれど、その産声が、この世界にこだました瞬間。

奇跡のような、その瞬間。

もう、ひとつの言葉しか、頭に浮かばないと思うのですよね。

ありがとう。
生まれてきてくれて、ありがとう。

ただ、それだけです。

moneさんは、ご自身が生まれた日のことを、その空の色を、ご存じでしょうか。

もし、よろしければ。
moneさんのご両親に、そんなことを聞いてみるのも、いいのかもしれません。


 

さて、せっかく根本先生の「罪悪感本」から、ご相談をいただきましたので、最後も「罪悪感本」から引用して、終わりたいと思います。

私が、一番大好きで、最も大切だと思う箇所です。

罪悪感にフォーカスが当たっているときは、とても自分がしあわせになっていい、なんて感じられないものですが、意識を少しずらして見れば、そこに愛があることに気づくことができます。そうすると私たちは、すぐにしあわせを感じることができるようになります。
だから、私はその罪悪感の裏側に隠れている愛の存在に気づいていただきたく、ここまで筆を進めてきました。
それは「罪悪感があろうが、なかろうが、あなたは今、そのままでしあわせになれる」ということを知っていただきたいからです。

「罪悪感本」 p.260.261

この言葉を信じて、私も日々罪悪感にまみれながらも、愛の方を見ようとしております。
moneさんもまた、ご自身のその素晴らしい愛に、少しだけ目を向けていただければ、幸いです。
moneさんのこれからを、心より応援しております。

この度は、ご相談いただき誠にありがとうございました。

文筆家・心理カウンセラー
大嵜 直人

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