大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

断酒日記【397日目】 ~光と影と、その裏側の影と光

ものごとには、必ず光と影の側面がある。

陰陽が常に存在しているのがこの世の常であり、そのモザイクが混然一体になっているのが世界である。

夏が過ぎれば冬が来るように、

引っ込み思案は奥ゆかしいと取れるように、

男性がいれば女性もいるように、

最大の悲劇は最大の恩恵を与えてくれるように。

ものごとには、必ず光と影の側面がある。

さらに言うなら、その光と影の裏側にも、また影と光がある。

そのすべてを眺めることは、自分の見ている世界に深みを与えてくれる。

私の断酒仲間に、岩橋隆盛さんがいる。 

隆盛さんは、私とほぼ同時期に断酒を始めて、お互いに時に刺激を受けながら、時にエールを送りながら、約1年ほど断酒を続けることができた。

お酒と僕の関係について② | ライフワークカウンセラー 岩橋隆盛のブログ

断酒日記 【242日目】 - 大嵜 直人のブログ

その隆盛さんが、断酒についての新しい視点をブログにまとめてくださった。

ameblo.jp

お酒を辞めて1年ほど経ったいま、「お酒を飲むことで得られていた恩恵やメリット」について考えてみよう、という話だ。

タイトルにある通り、「依存していたものから与えられる恩恵」は何だろうか、という問い。

時に人は何かに依存してしまうもの。

お酒に限らず、煙草、ギャンブル、ドラッグというアンダーグラウンドなものから、SNS、仕事や会社、恋愛やセックス、あるいは買い物といったものまで。

そうした刺激物への依存から抜け出そうとしたとき、そのデメリットに着目して、辞める(依存を抜け出す)動機にすることが多い。

たとえば、「お酒は二日酔いになるし、お金がかかるし、健康に悪いし、いつの間にか時間を浪費してしまうし…」といった具合に。

その裏返しとして、「お酒を飲まなければ、二日酔いにもならないし、お金もかからないし、健康にもいいし、時間も有効に使えるし…」という、そのデメリットの裏側にあるメリットを享受するために、辞めようとする(依存から抜け出そうとする)わけだ。

ところが多くの場合において、こうした刺激物を辞めるときに難しいのは、それが与えてくれていた恩恵がすっぽりと抜け落ちてしまうためなのだ。

隆盛さんが書いているように、それは「定年退職後のお父さん」に近い。

会社に依存していた人が、定年退職をしてその存在を失うと、自由になる反面、そこで得られていた恩恵(居場所、毎日のルーティン、誰かの役に立っているという自己有用感、仕事上でのコミュニティ、などなど)がごっそりとなくなってしまう。

その恩恵に代わるものを趣味なり家庭なりで見つけられればいいのだが、そうでないと大きな喪失感を抱えてしまう。

お酒にしても同じで、お酒を飲むことで得られていた恩恵があったはずなのだ。

お酒を辞めると、その恩恵をごっそりと喪失してしまい、それ以外の部分の人生もつまらなく感じてしまうことがある。

ここに、刺激物からの依存を抜け出すことの難しさがある。

そこで、また刺激物に戻ってしまうと、以前と同じになってしまう。

では、その刺激物から得られていた恩恵、メリットは何だろう?と振り返って考えてみよう、という話だ。

お酒を飲むことデメリット

    ↑

    ↓

お酒を飲まないことメリット

という軸にフォーカスしてきたのを、その図式そのものの反対側にあるものに目を向ける、ということだ。

お酒を飲むことメリット

    ↑

    ↓

お酒を飲まないことデメリット

というように、光と影の、その裏側にある影と光に目を向けるということだ。

色を付けてみたものの、少し整理するためにマトリックスを書いてみる。 

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断酒を始めたときは、「お酒を飲むデメリット」にフォーカスして、その裏側にある「お酒を飲まないことのメリット」に目を向けていた。

けれども、この図を見て分かるように、その見方は世界の半分でしかない。

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赤の破線の部分の反対側に、青の破線の部分があるはずだ。

「お酒を飲むメリット」と、その背中合わせの「お酒を飲まないデメリット」に目を向けることで、ようやくフラットに「お酒」というものへの選択をできるようになる、というわけだ。

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すべてのものごとには、光と影の部分があるのだが、そのものごと自体にも、カウンターパートとなる部分がある。

上の図の右側に書いた部分、 Cの反対はBなのだが、それと合わせ鏡になっているAとDの部分がある。

( C ⇔ B ) ⇔ ( A ⇔ D )

この裏側を認識して、ようやく一回り、ということだろうか。

「癒しとは、視点を変えること」という格言があるが、視野を広げることは、すなわち癒しの一部なのだろう。

ちなみに、この一連の流れというのは、「執着を手放す」際の心理的なプロセスと同一である。

大好きだった恋人から、別れを告げられた

ネガティブな感情を感じ尽くす

(相手への怒り、恨みつらみ、悲しみ、無力感、無価値感、後悔…を吐き出し尽くす)

感情を吐き出して空いたスペースに、ポジティブな感情を入れる

(相手に感謝できること、愛おしい気持ち、相手の幸せを願う気持ち…)

相手から心理的に離れる

(執着を手放す)

好き、という気持ちだけが残る

(一緒にいようが、別れようが、「私は」幸せという楽な境地に至る)

ぎゅっと握りしめて苦しい執着した状態を手放し、自分を解放して楽な状態に至る。

言うは易く行うは難し、の通り、なかなかその境地には至れないのが、我々生身の人間ではあるのだが…

それでも、こうした心理的なプロセスが、刺激物を手放すときには参考になる。

いずれにせよ、最後は感謝で終わる、だ。

お酒が私に与えてくれていた恩恵について、書こうと思ったのだが、長くなり過ぎたので稿を改めて、ゆっくり考えてみようと思う。

隆盛さんは、「円滑なコミュニケーション」、「リフレッシュできること」、「ひらめきを得ることができる」という恩恵を挙げられていた。

さて、私にとっては何だろうか。

お酒を飲まなくなったことで、私が失ったものは、何だろうか。

言い換えれば、お酒を飲むことで得られていた恩恵とは、何だろうか。

それは、お酒でないと得られないものだろうか。

少し、自分と向き合ってみようと思う。