さて、断酒726日目である。
もうすぐ、酒を断って2周年を迎えると思うと、なかなかに遠いところまできたものだ。
霧雨降る小橋の上で、「なんとなく」決めた断酒が、ここまで続くとは、面白いものだ。
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これまで、断酒の効用、メリットとデメリットなどについては、さんざん書いてきたような気がする。
けれど、今日はふと、「なぜ」酒を断とうと思い立ったのか、についてあらためて考えたくなった。
「ふと」感じた直感に、理を求めるのは愚かなことかもしれないが、それでも考えてみたくなった。
たとえば、禁煙したときは、喫煙のデメリットに目が向いてやめた。
紫煙が明らかに身体に悪く感じられるようになった、匂いが気になるようになった、お金がかかる…などなど。
取っ掛かりはそれでも、成功したことを見ると、それも一つの方法なのだろう。
酒を断った時は、そうではなかった。
お酒は好きで、その魅力も恩恵も十分に感じていた。
確かに二日酔いの辛さは身に染みているが、そのマイナスと断酒をすることによるプラスを天秤にかけて判断したつもりは、なかったように思う。
それでも、なぜそれを断とうとしたのだろう。
好きなものこそ、遠ざけたくなるという、罪悪感のなせる業だろうか。
自分の好きなものを遠ざけることで、自らを罰しようとする、罪悪感。
ほんとうに、よくある話である。
さもありなん、とは思うが、こと2年前の断酒においては、それもまた本質的には違ったような気がする。
罪悪感から好きなものを遠ざけるとき、どこかドロドロした悲劇的な別れの演出のようなドラマがつきものだが、それはなかったように思う。
どちらかというと、すっきりとしたような、そんなからっと乾いた感じだ。
だとしたら、なんだろう。
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一つ思うのは、何か新しいことを始めたかったのかもしれない。
何かを始めるとき、最も効果的なのは、別の何かを終わらせることだ。
両手がふさがった状態で新しく何かを持つことはできないし、
小学校を卒業しないと中学校には入学できないし、
何かをやめないと時間は生まれてこない。
執着を手放さないと、新しい何かは入ってこないとは、よく言われるものだ。
そう分かってはいても、何かをやめるのは、手放すのは、終わらせるのは、難しいものだ。
多くのディベロッパーにとって、難しいのは出店交渉よりも、退店交渉であると聞く。
私自身の経験則からしても、そうだろうな、と思う。
何かを始めることは、前を向いて希望を語ることができるし、その分前向きなエネルギーをもって交渉しやすい。
ところが、ものごとを終わらせるときの交渉ほど、骨が折れるものはない。
パートナーシップでも、同じようなものではないか。
出逢いよりも、別れ話の方が難しく、それでいて本質的だ。
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何かをやめることで、新しい世界に踏み出したくなったのだろうか。
700日以上が経って、振り返ってみると、ふと酒を断ったのはそんな理由がしっくりとくる。
やめることは、はじめること。
手に入れることは、手放すこと。
はじまりとおわりは、同じ場所。
そんなことを思う、断酒726日目だった。