人は、自分がかつて愛してもらったように、他人を愛そうとする。
そして他人に対して、同じような愛し方をするように要求する。
多くの場合、それは幼少期における親からの愛情表現に影響を受ける。
ところが、愛情の表現の仕方というのは、誰しもが同じではない。
愛憎の悲劇の種が、ここにある。
百人いれば百通りの、千人いれば千通りの愛し方がある。
言葉に出して伝える愛し方もあれば、
スキンシップで愛情表現をするやり方もあれば、
毎日食事を用意するという方法もあれば、
一緒にいるという愛し方もあれば、
一生懸命働いて稼ぐというのも愛の表現だろう。
このあたりは分かりやすい部類だが、そうでない方法もあるだろう。
厳しく接して叱るという愛し方、
手を出さずに見守るという愛し方、
あるいは距離を置く、という愛し方もあるだろう。
嫌われていると感じたあの人の言動は、あの人なりの愛情にあふれたものだった、ということは、いくらでも起こりうる。
愛の表現の仕方を知ることは、自分の世界を最も広げてくれる。
勤め始めて数年経ったころだろうか。
当時、一緒に仕事をさせて頂いた方がいた。
私の一回り上の年代だったその方を、仮に山城さんと呼ぶことにする。
山城さんは、元ラガーマンだった。
最前線でスクラムを組んでいたであろう、重心の低いがっしりとした体型。
当時の私はラグビーには詳しくなかったのだが、昨年のラグビーワールドカップを観るにつけ、山城さんに話を聞いてみたいと思ったものだった。
山城さんは、その体型に似合わず繊細だった。
そして、私や私の周りの人間と同じように、ハードワーカーだったけれど、どこか温かみを感じさせる人だった。
だから、皆、山城さん好きだった。
あるとき、遠く離れた取引先が、災害で被災した。
大きな、災害だった。
その取引先の商品は、顧客の中で多くのファンがついており、よく注文が入っていた。
私自身も、その取引先の方と何度か会って話をさせて頂いて、大好きな取引先だった。
すでに入っている注文のこともあり、安否も心配される大きな災害のこと、どうしたものかと思っていた。
山城さんは、泰然としていた。
「いま、こっちから連絡なんてするな」
そうは言っても、顧客から入っている予約があるが、と問うと、
「注文が入っている顧客には、こっちから連絡してお詫びすれば済む話だ」
災害の時には電話回線も、それをつなぐ電気も、時間も、工数も、貴重なリソースになる。
それを奪うことを、こちらからするな、と山城さんは諭してくれた。
「心配するより、自分の仕事を全うしてろ。そのうち、落ち着いたら向こうから連絡が来るさ」
もちろん、山城さんの対応がすべて正しかったと言いたいわけでもない。
ただ、心配する、あるいは伝える、という方法しか知らなかった当時の私にとって、山城さんのその言葉は、とても重く、そして響いた。
信頼して、見守る、という愛の伝え方。
それは、外側から見れば「見捨てる」ことと同じに見えてしまうかもしれない。
それでも、相手の立場のことを考え、信頼して見守るという方法は、私の世界を広げてくれたように思う。
別れてから、その人が送ってくれてた愛情に気づくことがある。
痛みを知ることで、たくさんの人が与えてくれていた愛に気づくこともある。
あるいは、親になってから、ようやく自分の親が与えてくれていた愛情に気づくこともある。
ものの見方ひとつで、世界は180度、その景色を変える。
その最たるものが、愛の表現の仕方なのだろう。
自分の中にはない、愛の表現の仕方を知ること。
それは、自分の世界を確実に広げてくれる。
そうして世界の見方を変えていくことを、癒し、とも呼ぶのだろう。