大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

立夏雨情。

この時期の雨は、どこか優しい。

日に日に上昇する気温に身体が堪えることも多いが、その火照りを冷ましてくれるようだ。

雨に対する想いは、そのまま自分自身の状態でもある。

あの頃、なぜ雨があんなにも気にならなかったのだろう。

天気予報を見る習慣もなく、傘を買うこと自体も稀だった。

雨に濡れたところで、別にどうにかなるものでもないと思っていた。

いや、雨が降ることにすら、興味を持てないでいたのかもしれない。

苦情のお詫びに伺った道すがら、夕立に遭い濡れ鼠になってしまい、その顧客に笑われて結果オーライだったこともあった。

雨だけではなかったような気がする。

一人暮らしでワーカホリックだったの手前、季節の衣替えという概念も薄かった。

「お前、まだ長袖で暑くねえのかよ」

「まだ半袖で大丈夫か?」

周りからそう言われて、ようやく衣替えの時期だと悟った。

季節は移ろうのに、私の周りの世界は、灰色だった。

あの頃、なぜあんなにも雨に苛立っていたのだろう。

駅から会社まで歩く15分ほどの時間に、なぜかよく土砂降りの雨が降った。

途中のコンビニで傘を買うのだが、ズボンはいつもずぶ濡れになった。

水たまりを避けて歩くのだが、どうしても靴の中に水気が入り込む。

ズクズクになった靴下が、どうにも気持ち悪かった。

買ったビニール傘は、ロッカーの肥やしになるだけだった。

なぜか、あんなにもピンポイントで雨に振られたのだろう。

分厚い雲の灰色の空を、いつも苦々しく見上げていた。

そうでもしないといけないくらい、怒りを抑え込んでいたのかもしれない。

ネガティブに見えるものを、どう扱うか。

その扱い方は、そのまま自分の闇の扱い方と重なる。

雨は、分かりやすいそのバロメーターなのかもしれない。

今は、どうだろう。

やはり、晴れの方がいいのは確かなのだろう。

けれど、その雨音を聴くことも、それほど悪いものでもない。

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