この時期の雨は、どこか優しい。
日に日に上昇する気温に身体が堪えることも多いが、その火照りを冷ましてくれるようだ。
雨に対する想いは、そのまま自分自身の状態でもある。
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あの頃、なぜ雨があんなにも気にならなかったのだろう。
天気予報を見る習慣もなく、傘を買うこと自体も稀だった。
雨に濡れたところで、別にどうにかなるものでもないと思っていた。
いや、雨が降ることにすら、興味を持てないでいたのかもしれない。
苦情のお詫びに伺った道すがら、夕立に遭い濡れ鼠になってしまい、その顧客に笑われて結果オーライだったこともあった。
雨だけではなかったような気がする。
一人暮らしでワーカホリックだったの手前、季節の衣替えという概念も薄かった。
「お前、まだ長袖で暑くねえのかよ」
「まだ半袖で大丈夫か?」
周りからそう言われて、ようやく衣替えの時期だと悟った。
季節は移ろうのに、私の周りの世界は、灰色だった。
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あの頃、なぜあんなにも雨に苛立っていたのだろう。
駅から会社まで歩く15分ほどの時間に、なぜかよく土砂降りの雨が降った。
途中のコンビニで傘を買うのだが、ズボンはいつもずぶ濡れになった。
水たまりを避けて歩くのだが、どうしても靴の中に水気が入り込む。
ズクズクになった靴下が、どうにも気持ち悪かった。
買ったビニール傘は、ロッカーの肥やしになるだけだった。
なぜか、あんなにもピンポイントで雨に振られたのだろう。
分厚い雲の灰色の空を、いつも苦々しく見上げていた。
そうでもしないといけないくらい、怒りを抑え込んでいたのかもしれない。
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ネガティブに見えるものを、どう扱うか。
その扱い方は、そのまま自分の闇の扱い方と重なる。
雨は、分かりやすいそのバロメーターなのかもしれない。
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今は、どうだろう。
やはり、晴れの方がいいのは確かなのだろう。
けれど、その雨音を聴くことも、それほど悪いものでもない。