思えば、ワーカホリックに働いていた時代にも、人には恵まれたものだ。
そこから得られたことも多い。
末っ子長男の気質のせいか、年下や部下よりも、年上や役職者の方が付き合いやすかった。
亀の甲より年の功ではないが、やはり年長者の言葉というものは重みがあるものだ。
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ワーカホリックと孤立を極めていた時代に、お世話になった方がいる。
名前を、仮に笠原さんとしておく。
私よりも二回り以上も上の歳だった。
笠原さんと5分も話をすれば、その頭の切れが痛い程よく分かった。
回りすぎるほど、頭が回るのだ。
聞くところによると、旧帝大の理系の修士を出て、誰もが知る大手企業に勤めていたそうだった。
順風満帆に聞こえるが、笠原さんは権威との葛藤を抱えていた。
頭が切れすぎるせいか、正論を主張して曲げないので、いつも上とケンカするのだ。
なにしろ理系出身で、数字には滅法強い。
上からすると、面白くもないのだろう。
結局、その大手企業も、それが原因で辞めたと言っていた。
次の職場でも、その次の職場でも、同じような状況になり辞めたらしい。
こう書くと、それが問題のように見えるが、問題とは本人が問題と認識する限りにおいて問題となるのであり、こと笠原さんにとっては、そうした経緯はさして問題ではなかった。
普段から歯に衣着せぬ物言いで周りから誤解を招くこともあったが、酒が入るとウィットに富んだ毒舌で楽しませてくれた。
あっけらかんとして、「俺を使えないのは、会社の損失なのにな」とケラケラと笑っていた。
ある意味で、風任せ、どこへ行っても食うくらいはできるだろうという自信が、笠原さんをそうさせていたのかもしれない。
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笠原さんは、権威との葛藤はあったかもしれないが、私を含めて多くの人に慕われていたことも確かだった。
どうやったら、皆が働きやすい環境にできるのか、そんなことばかりに頭を悩ませていた。
ぶっきらぼうな物言いの中にも、笠原さんの
あるとき、資金繰りに窮したときにも、ケラケラと
「そんなもん、払っちまった後に考えればいいんだよ」
と笑っていたのを思い出す。
今日は、そんな笠原さんの言葉を、ふと思い出した。
元気にしているだろうか。
笠原さんに、手紙を書いてみようと、思った。
それは、ワーカホリックに働いていた私への手紙にも、なるのだろうか。