自分には受け入れがたい言葉を、誰かから投げかけられることがあります。
自分を否定する言葉だったり、傷つける言葉だったり。
そんな言葉に悩むときに、考えてみたい視点をご紹介します。
1.言葉の持つ力について
言葉、というのは私たちの想像を超えるような力を持つものです。
それは、ポジティブな意味においてもそうですし、その逆の意味においてもそうなのでしょう。
私も、しんどいとき、辛いとき、先のことが見えないとき、いつも足元を照らしてくれた言葉がありました。
そうした言葉がなければ、いまこうしてここで日々ブログを書いていることはなかったかもしれません。
しかし、真夏の陽射しには、色濃い影があるように、陰陽がともにあるのが、この世界の常でもあります。
時に、言葉によって、私たちの心は深く傷つくこともあります。
自分を否定する言葉であったり、自分のことを分かってくれなかったり、あるいは心ない、自分を傷つてくるような言葉であったり。
言葉は、それが発せられたと同時に、消えてきます。
しかし、そうしたネガティブな言葉で受けた心の痛みというのは、すぐに消えるわけではありません。
何日も、時には何年も、私たちの心のなかでわだかまりやひっかかりとなってしまうこともあります。
カウンセリングでも、そんなお話を伺うことがあります。
それは、時に自分にとって大切な人から投げかけられた言葉であったりします。
2.受け入れがたいものに、こだわるのはなぜか
そうした言葉を、どう考えるのがいいのでしょうか。
「そんな言葉なんて、気にしなければいい」
そんな風に言う人も、いるかもしれません。
けれども、それができないから、苦しいんですよね。
頭ではそれは分かっているんだけれども、じゃあそれでスッキリするかといったら、決してそうではない。
だから、人は悩むんですよね笑
そうした言葉を「どう扱うか」は、あくまで「結果」なのかもしれません。
すぐにそこに至ろうとしなくても、いいのではないかな、と私は思います。
それよりも、今日お伝えしたい点は、「なぜ、その言葉をそんなにも受け入れ難いと感じるのだろう」という視点です。
え?自分を否定してくるような言葉だから、受け入れ難いのは当たり前じゃないか?
私は、決してそうは思わないのです。
人が葛藤を感じるとき、それは真逆の感情が働いています。
「そんな言葉、受け入れなくていい」という想いと、「それを受け入れてあげたい」という想い。
自分を否定するような、受け入れ難い言葉に苦しんでいるとき、私たちの心はそのはざまで揺れています。
だって、最初から受け入れる気もなければ、悩まないわけですから。
例えとして適切かどうか分かりませんが、「中日ドラゴンズが点を取れなくて、全然勝てない」ということを、私はとても受け入れ難いわけです。
「え?そんなもん、別に応援しなけりゃ済む話じゃない?」
と人は言うかもしれません。
けれども、問題はそうじゃないんですよね。
それでも応援したい、それでもその受け入れ難い現実との間で、葛藤するわけです。
中日ドラゴンズが弱い(という現実)が、問題なわけではないんですよね。
その現実に対して芽生える、自分がどうするのか、どうしたいのか、という葛藤が問題なわけです。
「わざわざチケット代払って、不甲斐ない試合を見せられるのは…」という理性と、「チームが苦しい時こそ声を挙げて応援するのが、本当のファンだろ?」という情念と。
その間の葛藤に、人は悩むわけです。
あ、人ではなくて「私」ですね、すいません笑
3.葛藤の底には、愛がある
さて、ここまで見てきた「葛藤」。
その言葉は受け入れられない、という理性と、それでも、受け入れた方がいいのでは、という情念との間の、葛藤。
その葛藤を解消しようとするのは、難しいものです。
どちらが正しい、というわけでもありません。
ただ、その葛藤が、どこからきているのかにフォーカスることはできます。
人が葛藤を感じるとき、その底には「愛」があります。
どんなチームがひどい状態でも、それを応援したい、という愛。
そもそも、その愛がなければ、葛藤しないと思うのです。
だって、中日ドラゴンズではなく、どこかの外国のプロ野球チームが調子悪かったとしても、私は何の葛藤も感じないでしょうから。
同じように、何がしかの受け入れ難いと感じる言葉があったとしたら、その底には愛があると思うのです。
そうでなければ、それを言われた瞬間はムカつくかもしれませんが、それについてずっと悩んだりしないと思います。
私たちが傷ついたり、葛藤したり、悩んだり。
そうすることの裏側には、必ず愛があります。
そうした葛藤を、すぐに解消することは難しいかもしれません。
けれども、その底にある「愛」に目を向けてみると、少しその葛藤がゆるんでいきます。
そうしていくと、「受け入れるのか、受け入れないのか」という二者択一で葛藤するのではなく、「あなたはそう思ったんですね」という線引きができるようになったしもします。
そして、「なぜ、そんな言葉を投げかけてきたんだろう」という方向に、想いをめぐらせることもできるかもしれません。
受け入れ難いと感じる言葉で、心を悩ませるとき。
その言葉をどう扱うか、ということよりも、なぜそこに悩むのだろう、という視点を持つことは、大切な視点のように思うのです。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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