大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。それでも、愛することを諦めきれないあなたへ。

紫陽花と天道虫。

梅雨の合間の空の下。

紫陽花の上を天道虫が歩く。

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とことことこ。
とことことこ。

六本の足をしきりにもぞもぞと動かし、頭を振ってあっちへ、そしてこっちへと。

何かを探しているようにも、喜びに満ちた舞いを披露しているようにも見える。

一輪の紫陽花は、そのまま天道虫にとっての宇宙でもあるのだろう。

戯れ、遊び、怖れ、迷いながら、天道虫は歩く。

いったい、天道虫は自分の身体を小さいと思うことがあるのだろうか。

あるいは、何かに対して劣っていると感じることがあるのだろうか。

もぞもぞ、とことことこ。

そんな私の思念とは無関係に、天道虫は歩く。

ただ、歩く。

彼の宇宙を泳ぐようにして、歩く。

内面に刻まれた「わたしは誰かよりも劣っている」と感じる人だけが、数と権力を求める。

「わたしは誰かより劣っている」という劣等感と、
「わたしは誰かより優れている」という優越感は、

同じ地平線にある。

自分は無力であり、競争したくないと主張する人ほど、
誰かに承認され、称賛されたいというエゴを抱える。

自らの数と権力を自慢する人ほど、
自らの内で怯える幼子をあやす術を知らぬ。

それは同じコインの裏表でしかない。

誰の中にもある、その見たくもない汚泥を認めることだ。

もっと私を認めろ、称賛しろ、と。
あるいは、
私は傷ついていた、助けてほしい、と。

自分自身をいかなる形でも卑下してはならないし、あるいは誰に対しても劣っていると感じてはならない。

また、それは同時に、

どんな数や権力に対しても自らを売り渡してはならないし、あるいはどんな人に対しても優越感に浸ってはならない。

言い古され、手垢のついた言葉でしかないが、ひとりとして同じ人間は存在しない。

すべての人間は、一つの「個」として存在している。

優劣とは比較対象が存在するがゆえに現れる概念であり、「ひとつ」のものを比較して優劣をつけることは原理的にできない。

すべての優越感も、劣等感も偽りのものだ。

それは、煙のように立ち上っては消えるだけだ。

すべての人は唯一無二の存在であると同時に、世界もまたそうである。

世界とは、一つの紫陽花のことであり、また一匹の天道虫のことであり、またこの宇宙すべてのことでもある。

そこに劣等感も優越感も必要ない。

とことことこ。

梅雨の合間の空の下。

紫陽花の上を天道虫が歩く。

ただ一つの紫陽花の上を、唯一無二の天道虫が歩く。

背中の七つの星が、陽の光に照らされて輝く。

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