大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「役割」を演じるのはしんどいものだけれども、「役割」を演じるに至ったのは大切な人への愛からではないでしょうか。

「役割」とは補償行為の一つであり、それゆえ演じるほどにしんどくなります。

しかし、「役割」を演じるに至ったのは、大切な人への愛からではないかと思うのです。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.「世話する人」の役割では、相手に優越感を感じられる

「世話をする人」の役をしているということは、対等のパートナーシップを怖れているのです。

だからこそ「役割」に生きるのです。

役割というのは補償行為であり、そこには劣等感や、自分では不十分だ、価値がないという気持ちが隠れているのです。

そこで自分と「共依存」の関係に入れるような、やはり前に進むのを怖れている人を選びます。

そうして自分たちが前に進まないですむように、関係のなかで共謀しあって、どちらかの人を「問題者」にするのです。

 

「世話をする人」の役割は、相手の人を助けて対等の関係になれるまでレベルが高まってくると、とたんに相手を遠ざけてしまうという性質があります。

すると相手はあなたをからっぽにして立ち去ってしまいます。

パートナーと対等の位置に立つのがこわいのは、傷つくのがこわいからです。

自分にはそんないい関係をもつほどの価値はないとか、パートナーと対等につきあう力や自信はないと感じるのです。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.400

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2.「役割」の心理

今日のテーマは、「役割」でしょうか。

パートナーシップを考えるとき、非常に重要になる視点です。

「役割」とは、補償行為の一つ

私たちは、誰もが「役割」を演じて生きています。

母親、仕事の同僚、パートナー、あるいはきょうだいの中でのポジション…実にさまざまな「役割」のなかに生きています。

今日の引用文にある、「世話をする人」というのも、一つの役割といえるのでしょう。

その「役割」の本質は、「補償行為」であるというのが、今日のテーマです。

はい、なんだかドロドロとしてきましたね笑

大丈夫です、最後には清涼感をお届けできるように書きたいと思います!

「補償行為」とは、罪悪感をはじめとしたネガティブな感情をベースにした行為のことです。

つまりは、自分は罪深い人間だ、自分には価値がない、自分は不十分だ…といった、自己否定のうめあわせをするためにする行為を指します。

「世話をする人」という役割も、典型的ですよね。

「この人は、私がいないとダメなの」という役割を演じることで、自分の価値を確認する。

そういった補償行為の心理が、「役割」にはひそんでいます。

多くの場合、その相手は「世話をされることが必要な人」を選びますから、その関係が固定的になる傾向があります。

「世話をする人」も「世話をされる人」も、お互いがお互いに依存しているという、しんどい状態になりやすいものです。

必要なのは相手ではなく、「助けている」という「役割」

こうした場合、必要なのはパートナー(相手)そのものではなく、「相手を助けている」という役割が多いものです。

だから、相手が助けを必要としない状態になると、とたんに興味を失ったりします。

そうすると、相手もそれが伝わりますから、関係性は終わりを迎え、そして新しい「助ける役割」を演じさせてくれる人を探しにいったりするものです。

はい、非常に思い当たるフシのある私です笑

仕事なんかでも、いったんトラブルが解決すると、とたんにやる気が失せて、また違う「トラブル現場」を探してみたり…「世話をする人」「助けてくれる人」の役割を求めていたように思います。

「役割」を演じていると、相手からの愛が受けとれないという大きな問題があります。

私もそうした「役割」を演じているときは、常に徒労感と不足感があり、満たされることはありませんでした。

していること自体はどんなに素晴らしくても、それでどれだけ感謝されようとも、それを100%受けとることができないんですよね。

どれだけ感謝されても、称賛されても、それは「役割」がぜんぶ吸いとってしまうような、そんな感覚です。

それはまるで、おなかの中に寄生虫がいて、口にした栄養をぜーんぶその寄生虫が吸いつくしてしまうような、そんな状態です。

それでも、「役割」をやめることはできない。

「役割」に縛られていると、そんなしんどさがあるものです。

3.「役割」をつくったのは、なぜ?

さて、そうした「役割」ですが、お察しのように、その根本にある罪悪感や無価値感といった感情を癒していくことが、カギになります。

そうしたネガティブな感情と向き合い、それを癒していくほどに、「役割」を演じる必要がなくなるわけですよね。

このあたりは、カウンセリングなんかでもよく扱うテーマといえます。

「役割」が苦しいからといって、じゃあそれをすぐにやめられるかといえば、そうではないわけです。

それよりも、その「役割」を演じることになった、感情の方にフォーカスしていくわけですね。

その痛みや傷を、感じつくし、癒していくと、結果として「役割」を演じることをしなくてもよくなっていく。

それが、「役割」をゆるめるための、ある意味で王道といえる方法なのでしょう。

そのプロセスの中でも、大切な視点があります。

それは、なぜその「役割」をつくったのか?という視点です。

先ほど、その「役割」の底には、罪悪感や無価値感といった感情があるとお伝えしました。

なぜ、そうした感情を抱いたのでしょうか?という視点ともいえます。

「自分は罪深い人間だ」と感じてしまう。

「自分には価値がない」と感じてしまう。

その裏側には、大切な人への愛があるのではないでしょうか。

罪の意識を感じるのも、価値がないと感じるのも、大切な人を笑顔にしたかったから、といえるのでは、ないでしょうか。

そう考えると、「役割」を演じるのはしんどいものですが、それだけ大切な人を愛したかった、という想いがあるのではないでしょうか。

「役割」を、かりそめの姿として捉えるよりも、その根底に愛があったから、という視点。

それは、私がカウンセリングの中でも、大切にしたい視点の一つでもあります。

 

今日は「役割」の心理と、その裏側にある愛について少し考えてみました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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