秋、立てる日。
暦の上では、もう秋が来てしまったようだ。
七十二侯では「涼風至すずかぜいたる」、夏の暑い風から、秋の涼しい風が吹き始めるころ。
暑さはまだまだ厳しいが、ほんのわずかな風の色の移り変わりに、先人たちは心を寄せてきた。
食材の「走り」を貴ぶことと、似ているのかもしれない。
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「食材の走りを追っかけてると、ほんと、年月があっという間なんだよなぁ」
とあるレストランのシェフは、そう呟いていた。
当然ながら「あっという間」とは、無為に時間が過ぎてしまったのではなく、夢中になっていた、というニュアンスだろう。
少年のころ仲間たちとの「缶蹴り」に夢中になっていて、ふと気づくと、どっぷりと日は暮れ、あたりは夕闇に包まれて。
いつの間にやら、ほんの数メートル先の友人の顔もよく見えなくなっていた。
そんな経験なのかもしれない。
そのシェフも、どっぷりと日も暮れてずいぶんと遅くしまったあの日の、家に帰ったら親に叱られるんだろうなぁ…というような顔をしていた。
その表情は、同時に夢中になった時間が過ぎて行ってしまう寂しさも、内包していた。
好きや夢中は、寂しさと仲良しなのかもしれない。
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さて、立秋。
私の大好きな夏が過ぎ去っていく。
長い梅雨が明け、ようやく訪れたこの暑さも、もう「残暑」と表現しなければならない寂しさよ。
それでも。
その暑さに額に汗をしながら、ほんのわずかな風の移り変わりに、微かに聴こえる秋の虫の声に、木々の葉の色のトーンの変化に、空の雲の形の変化に。
心を寄せてみようと思う。
二千年以上の昔にヘラクレイトスも言っている通り、万物は移ろいゆく。
生きることとは変化することであり。
変化するとは瞬間に生きることであり。
瞬間は、愛であるのだから。
暑中見舞いも、もう残暑見舞いへ。