大嵜直人のブログ

たいせつな何かをなくした心に、ともしびを。

露が、それを知っている。

時に白露。

徐々に朝晩の気温が下がり、草木に降りた露が白く光って見えることのある、秋の入り口。

 

七十二侯でも草露白(くさのつゆしろし)の名が付けられている通り、草木に降りた露に夏から秋への移り変わりが感じられる時期でもあります。

 

それとともに、9月9日の今日は重陽の節句、あるいは菊の節句とされ、旧暦の五節句の最後の一つとして、菊酒や栗ご飯でお祝いをする日でもあるそうですね。

 

ここのところ雨が続いたりして、半袖では肌寒くすら感じる日もあります。

少し前の、あの真夏の暑さはどこへやら。9月はもう少し残暑が厳しかったようなイメージがあるのですが、今年は殊更に早く、季節は流れていくようです。

 

熱が下がっていく、というのは少なからず、我々に死を想起させます。

それは、その対極にある生を、否が応でも認識させられることと同義でもあります。

 

あの真夏の太陽の熱量も、いつしか枯れ。

あとに残るのは静けさと、もの悲しさと、夢のかけらと。

 

朝晩に降りる露は、どこかそれを慰めているようにも思えます。

 

夏が過ぎ、秋が訪れる。

空は澄みわたり、夜空に大きな月が浮かび輝く。

草木に露が降り、野の小さな花が咲き、実りを次代に残して、朽ちてゆく。

 

連綿と繰り返されてきた、いのちの営み。

草木に降りる露は、ずっと変わらずに、それを見つめ続けているのかもしれません。

 

露だけが、それを知っている。

 

そんなことを想いながら、白露を眺めることもまた、季節の愛でるよろこびのようです。

 

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