大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。それでも、愛することを諦めきれないあなたへ。

選択と結果、偶然と必然について。

振り向かなくても 何処かで愛していたはずさ

覚めないつづきを いいだけ苦しんでいたはずさ

僕のすべて 君のすべて

今日のすべて 今のすべて

CHAGE and ASKAの「HEART」の歌い出しは、どこか語りかけるようだ。

そのワンフレーズ目は、聴く者に問いかける。

もし、あのとき、あの場所で、振り向かなかったとしたら。
あの選択をしなかったとしたら。

そうしなかったとしても、結局、どこかでそうなっていたのだろうか、と。

人は、未来に起こる出来事に対しては、何もできない。

それは、文字通り未だ起こっていないことであり、不確定で不確実なものだからだ。

それに対して、過去に起こった出来事は、いかようにも変えられる。

怨念と憤怒と後悔にまみれた出来事も、福音と喜劇と感謝に満ちた出来事に変えることができる。

未来は変えられないが、過去は変えられる。

そのどうしようもない宿痾のような出来事は、自己受容が進むにしたがって、「そうせざるを得なかったのだ」となり、いつしか「そうあってよかった」と思うようになる。

痛みや悲しみ、ネガティブな感情を感じた時ほど、「そうあってよかった」という恩恵は大きい。

過去と未来をつなぐのは、その振り子のような自己受容なのかもしれない。

偶然性は神の領域だが、必然性は人の愛の領域である。

そこに意味を見出し、与えるのはいつも人でしかない。

もし、あのときそうしなかったら。
その偶然が起こらなかったら。

いまが、いまであるのだろうか。

それとも、冒頭のCHAGE and ASKAの「HEART」のように、「どこかで愛していた」のだろうか。

それとも、やはりその必然が積み重なっていなければ、いまは存在しないのだろうか。

どちらでも、同じような気もする。

神が宿す偶然に感謝を捧げるのか、それとも人の意思の織り成りである必然を愛でるのか、その違いでしかない。

「あのとき、あなたの言葉に出逢っていなければ、私は潰れていたかもしれない」

その言葉を言えるとき、その人は

「そのとき出逢っていなくても、どこかで見つけることができたはずだ」

ということを、信じている。

その逆も然り、なのだが。

それは、偶然を信じるか、必然を愛でるのかの違いでしかない。

偶然を司るのは神であり、必然を必然たらしめるのは人である。

結局のところ、冒頭の歌詞に戻るのかもしれない。

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