「おとう、トントンして」
めずらしく一緒に寝る、と言って隣にきた息子がそういう。
娘に比べて、寝つきが悪いのは赤子の頃からずっとだが、それにしてもその夜は寝付くのが遅かった。
ああ、と答えて、息子の肩をトン、トン、とゆっくりと叩く。
小さな赤子の頃、よくこうして肩をトントンとしたものだった。
ゆっくり、ゆっくりと一定のリズムで。
息子の呼吸と、自らの呼吸を合わせて。
寝つきの悪い息子のこと、どうしたら早く寝付くのか、いろいろと研究したものだった。
結局のところ、親自身が一緒に寝落ちするのが、最も確実な寝かしつけの方法なのだが。
私自身も、こうやって肩をトントンされて、寝かしつけをしてもらっていたのだろうか。
あまり記憶にはない。
寝付く側の方だから、当たり前なのかもしれない。
なんとなく思い出すのは、夏休みにひたすら近所の公園でセミ取りにいそしんだ後、午後の昼寝で祖母がうちわをあおいでくれていた風の感触だ。
あの頃は、まだ今ほど暑くなかった。
「クーラーは身体によくないから、できるだけ付けないで過ごしましょう」ということが、言われていたような気がする。
熱中症に警戒して、クーラーを適切に使いましょう、という今とは、隔世の感がある。
あのうちわの風は、心地よかった。
いつだったか。
ガムを噛みながら寝落ちをしてしまい、口の中の異物感を覚えながらも、眠気が勝っていたことがあったのだが、そっと口元にティッシュが差し出されたように覚えている。
愛されていたのだろう。
そんなことを考えながら、トントンとするのだが、息子は寝返りを繰り返していた。
何度かの寝返りのあと、息子はぱちりと目を開いた。
「おとう、うまくねむれない」
ああ、そんなときもあるさ。
そう答えながら、トン、トンと叩く。
多少寝れなくても、大丈夫だよ。それより、何か心配事か悩み事でもあるのかい?
「うん。ある」
どきり、として、肩を叩く手が止まる。
勉強のことか、友だちのことか、何か別のことなのか…小学校も低学年になれば、いろいろと考えること、悩むこともあろう。
自分がその歳くらいのときには、どうだっただろう。
身構えてしまう、私がいた。
ふう、と息を吐いてから、私は続けた。
そうか、誰にでもあるよな。何で悩んでるか、話せそうかい?
「うん」
息子はそう答えた。
何の悩み、心配ごとなのだろう。
頭はいつの間にか冴えて、高速回転を始める。
「あの」
うん、なんだい?
「かたが、こってるんだ」
こわばっていた全身が、弛緩した。
いや、大事な悩みだ。肩の凝りが、眠りを妨げている。由々しき問題だ。
そうか。肩が凝るのはつらいよな。
「うん」
揉んであげようか?
「うん」
こうして、私はうつぶせになった小さな背中を、ぐりぐりと指圧させられる羽目になった。
お父さん、肩を揉んであげようか、というのが定番だと思ったが、どうも違うらしい。
それにしても、凝っていると言う息子の肩の、なんと柔らかいことか。
とくに、肩甲骨の周り。
そのくぼみには、指が何本も入るくらいに柔らかい。
罪悪感の吹き溜まりともいわれるその場所は、ずっと触れていたいくらい、柔らかかった。
うらやましいかぎりだ。
「うーん、くすぐったい」
そりゃ、そうだ。
満足げな息子の肩を、またトン、トンと叩く。
肩もみが気に入ったのか、しきりに私の肩凝り遍歴について息子は訊ねてきた。
ずっと同じ姿勢がダメなんだぞ、と言うと、じゃあ勉強はしちゃだめだね、と返してきた。
いや、だから運動も必要なんだ、と返しておいた。
ほどなくして、息子は寝息を立て始めた。
いつか、どこかの。
自分の肩を、叩いているような。
そんな、気もした。