梅雨入り前の時期、一昨年、昨年とお世話になった同僚の「クワガタ先生」から目撃情報が入った。
そう、クワガタである。
梅雨入り前のこの時期から出始め、梅雨明けからはカブトムシと入れ替わる。
息子にそれを伝えると、一にも二にもなく、すぐ行く、と言う。
今年も付き合ってくれると言う同僚の先生とともに、週末の早朝に「Xデー」を設定した。
折しも、緊急事態宣言も解かれ、学校も始まった週だった。
都合3か月という、異例の長期休暇明けの学校は、なかなかに慣れずしんどいのだろう。
それはそうだ。
いままでステイホームという錦の御旗のもと、のびのびとゲーム三昧で過ごした後だ、なかなかすぐに元通りというわけにはいかないだろう。
これまでの遅れを取り戻そうと、カリキュラムも急ぎ目になる。
学年が上がって、新しいクラスにも戸惑うかもしれない。
まして、この暑い中でのマスク着用など、感染症対策の「新しい生活様式」を強いられるストレスもあるだろう。
そんな中で、「クワガタ捕り」という言葉は、どれほど息子の心に希望を灯しただろうと思う。
今年も、早朝から付き合ってくれる同僚には、感謝の念しかない。
=
けれど、前日からワクワク全開の息子を見るたびに、心配性の私はソワソワしだす。
これだけ楽しみにしていて、もしクワガタが捕れなかったら。
その時のガッカリした息子の顔を想像すると、どうしてもソワソワしてしまう。
それは、喜び、楽しみへの怖れなのか、あるいは抵抗と呼ぶべきものなのか。
なにはともあれ、熱帯夜で寝苦しい前日の夜は、眠りが浅く、なかなか寝付くことができなかった。
隣で眠る息子は、2,3時間おきに「ぱちり」と目を覚まし、時計を見ては「あと、〇時間だね」とその喜びを伝えるために私を起こしてくる。
そんなにも楽しみにしていることがあることは、すばらしいことだ。
明日の希望さえあれば、宿題もテストも、何も問題ではなくなる。
結局のところ、問題を解決しようとするよりも、ビジョンを見た方が早いのだ。
=
もちろん目覚ましのアラームよりも早く目覚めた息子と私は、いそいそと着替え、車に乗り込む。
パンをかじりながら、息子は「いまはどこ?」「あと何分で着くの?」と何度も問いかける。
折しも前日、息子にとっては些細なことで先生に怒られたりしたようだが、そんなことは彼の脳裏に微塵もないのだろう。
ダービーや有馬記念の週の金曜日に、いくら取引先とモメようが、上司から理不尽にどれだけ怒られようが、何も気にならない事象に似ている。
ランデブー・ポイントには、早めに着いた。
クワガタ先生は、もう待っていて下さった。
気恥ずかしそうにする息子。
すぐに目的地へ一緒に向かう。
一年ぶりに訪れたその公園の森は、記憶よりもその濃さを増したようだった。
ヤブ蚊が飛び回っているのが裸眼にも見え、長袖のシャツの上に何匹も止まっているのを振り払う。
天気も晴れてくれた。
見たことのない形の虫たちが、草の上で羽根を広げているのを見る。
その中を、半袖短パンサンダルで進んでいくクワガタ先生。ワイルドだ。
耳障りな羽音を立てて、大きな蜂が飛んでいくのを見て、首をすくめる。
息子は必死に後ろをついて歩いている。
藪をこぎながら、巨大な毛虫に怯えながら、それでも。
目指すは、クワガタの集まる、あの古木。
やがて、目的地へたどり着く。
くまなく探すと、いた。
木の幹に空いた穴の中に、潜んでいた。
こんなときのためにと持参した竹串を使って、捕獲する。
見事なノコギリクワガタのオスだった。
破顔一笑の、息子。
よかった、本当に。
ようやくほっとする。
結局この日は、もう一匹ノコギリクワガタのオスを捕まえることができた。
クワガタ先生に御礼を言っての、自宅への帰り道。
二つの虫かごに入ったクワガタを、息子はずっと眺めていた。
「好き」が持つエネルギーと、それがもたらす恩恵。
毎年、息子は私にそれをまざまざと見せてくれる。
問題を解決しようとするよりも、ビジョンを観ることを。
今年は、そんなことを想いながら、ハンドルを握る私は我慢できずにあくびを繰り返す。
不安からの解消からか、それとも単に寝不足からか。
早起きのおかげで、まだ一日は始まったばかりだ。