たとえば、初めて通ったはずの道に、既視感を覚えることがある。
いつか、通った道。
あれは、いつ、通ったのだろう。
何の機会に、誰と通ったのだったのだろう。
そんなことを考えるのだが、初めて訪れたはずの土地を、誰かと通ったことがあるはずもなく。
雰囲気が似ている道を通った記憶を、混同しているのだろうか。
その可能性も、あるだろう。
けれど、そうでもない可能性も、あるのかもしれない。
いまではない、いつか。
そのいつか、通った道。
そんなものがあるのかどうか、分からないが。
ない世界よりは、ある世界の方が、美しいではないか。
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たとえば、こころが痛んで、どこへも行けないとき。
ふと。
声なき声を、耳にすることがある。
とても、こころが痛んでいた、真夏の日の朝。
耳に痛いような蝉しぐれの中に、誰かの声を聞いたりする。
そこに、いたんだ。
それは、こころの弱さだろうか。
それとも、潜在的な願望が、幻聴なりを引き起こすのだろうか。
それも、あるのかもしれない。
けれど、そうではないことも、あるのかもしれない。
ここではない、どこか。
どこかに、あの人の存在が、在る。
明確に世界を分かつよりも、そんな可能性が残ている世界の方が、優しい。
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たとえば、誰かと話しているとき。
食事をしているとき。
何気ない時間の中に、どこか懐かしさを覚えることがある。
いまではないけれど、いつか。
いつか、どこかで。
こんなことを、話していた。
あれは、いつだったのだろう。
朧げな記憶の糸をたどるけれど、その糸はもつれ、ほつれ、からまり、結局どこへ行くのやら。
綾取りの紐が、とても固く絡まってしまったかのように。
けれど、その糸が、もともと一本の線であることは、間違いなく。
ときに、折々の時間の中で。
そんな糸が、見え隠れする。
いまではない、いま。
そんな記憶のなにかに、人は惑い、ときに喜び、そして導かれる。
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いまではない、いま。
そんなものに、ときに人はあこがれ、振り回される。
自分ではない何者かになろうと、ずっともがき続ける喜劇と同じようなものかもしれない。
ただ、いま、しかないように。
ただ、誰でもない、自分にしかなれないように。
いま見ている世界そのものが、寸分の違いもなく、自分自身であるように。
いまの世界そのものが、何の狂いもなく、自らの設計図通りであるように。
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「いつも。いつも、あなたは誰かを探していた」
「どうだろう。分からない。けれど、誰かになりたかったのかもしれない。ずっと」
「違う。あなたは、自分を探していた」
「それは、そうかもしれない。ずっと、そうだったのかもしれない」
「気づていないかもしれないけれど」
「あなたは、ずっとあなただった」
「それでいいんだろうか」
「いいとか…ううん、そうじゃない」
「どうしても、そこに価値を見出せない。もちろん、素晴らしいことだって、いっぱいあるのは、知ることができたけれど」
「違う、そうじゃない…いいとか、素晴らしいとか…そうじゃない」
「何が」
「そうじゃない」
「分かっているよ」
「ううん、分かってない」
「なにが」
「 」
「違うよ、そうじゃないと思う」
「そうじゃないかもしれない。けれど、そうかもしれない」
=
それを、なんと表現したらよいのだろう。
いまではない、いま。
いつも、人はそれに導かれる。
いつか通った道のような。