大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー見習い。

歳を重ねるごとに、待つことが苦でなくなる。

四季の移ろいの美しさ、あるいは儚さ。

古来から、私たちはそれを詩に、絵に、言葉に託してきたようだ。

 

しかし、それらを愛でるようになるには、ある程度の歳月が必要に思われる。

 

路傍に咲く一輪の花や、ほんのわずかな風の表情の変化、あるいは夕陽が染めあげる街の色。

そんなものに、心を揺らし、胸をときめかせ、想いを寄せる。

 

若かりし頃には目にも留めなかったそれらが、どうにも愛おしい。

 

思い返せば、梅雨は鬱陶しいだけの、夏は暑いだけの、冬は衣服を出すのが面倒なだけのものだった。

 

それが、歳を重ねるごとに、愛おしくなる。

 

 

言葉を替えるならば、歳を重ねるごとに、「待つ」ことが苦でなくなると言えるのかもしれない。

 

生物としての時間的な制約は、歳を重ねるごとに減っていくはずなのに、「待つ」ことが苦でなくなるのは、不思議だ。

 

考えてみれば、物理的な死が近づくほどに、「待つ」よりも「動く」方に重きを置きたくなるようなものだ。

時間が無くなればなるほど、結果を求めて丁半博打に賭けたくなるのは、競馬の最終レースが近づく心理を見れば明らかなのだが、不思議なものだ。

 

もちろん、徐々に衰えていく肉体的な制約というのは、あるだろう。

 

けれども、不思議と歳を重ねるごとに、「待つ」ことが苦でなくなるようだ。

 

 

「待つ」ということは、不思議だ。

 

受動的なように見えて、その実、能動の極みとも言える。

 

「待つ」ことができるのは、「動いた」先にあるからだ。

動いて、やりつくしてない限り、人は「待つ」ことは難しい。

 

まだ、自分の力で、できることがあるのではないか。

その想いが残っていると、やはり「待つ」ことは難しいものだ。

 

それは、誰かを信頼することと、構造的には似ているのかもしれない。

 

人事を尽くして天命を待つ。

 

あまりに使い古され、手垢のついたその言葉が、想起される。

 

 

人事を尽くしても、尽くさなくても。

 

ふと目を外に向ければ、季節は移ろい、流れていく。

 

動けなくなるまで、動いたのか。

ベストを尽くしたのか。

 

そう、自責の念が浮かんでくることもあろう。

 

けれど、季節の流れは、そうした念をやさしく昇華してくれる。

 

動けなかったとしても、それがベストだったんだ、と。

 

新しい季節、新しい今日の訪れとともに、開いた花を眺めるように。

自らの一日を、愛でよう。

 

それが、待つことかもしれない。

 

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