「大いなるマンネリ」という言葉がある。
マンネリと聞くと蔑むニュアンスがあるが、「大いなる」という形容詞がつくことで、それは称賛に変わる。
時は、重ねるごとに味わい深くなる。
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「大いなるマンネリ」の最たるものの一つが、競馬であろう。
年が明けると金杯から始まり、
フェブラリーステークスの熱戦が寒風を切り裂き、
クラシック戦線の動向にああだこうだ言いながら、
桜の開花とともに桜花賞を想う。
そして、新緑の下の日本ダービー。
お祭りの翌週からデビューする2歳馬の中に、来年のダービー馬を探す。
暑い夏にはローカル競馬の愉悦があり、
いつの間にかスプリンターズステークスから秋のGⅠ戦線がはじまり、
気付けば有馬記念ウィークを迎えることになる。
毎年、同じことの繰り返しなのに、それに飽きもせず見惚れるのは、それが「大いなるマンネリ」なのだろう。
そして、それは時を重ねるごとに、味わい深くなる。
レースの名前に過去の名勝負を思い出したり、応援していた優駿の仔が走ったり、競馬場を訪れた記憶を懐かしんだりするのは、大きな喜びだ。
それは、大いなるマンネリを続けてきたことへの恩恵かもしれない。
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考えてみれば、季節のめぐりも似たようなものかもしれない。
毎年毎年、季節はめぐる。
同じように春霞は流れ、
ぎらついた陽光は草いきれを醸し、
いつしか虫の声が夜を彩り、
木の葉が道を埋める。
毎年毎年、季節は流れていく。
けれど、決してそれは同じではない。
年を重ねるごとに、季節が流れる喜びは大きく感じることができるように思う。
あの初夏の日、あの場所に立って眺めていた風景。
あの春に見つめた桜。
あの秋雨の音。
あの冬の日、つめたさとあたたかさと。
そんなふうに、いくつもの季節の、美しい記憶が重なるからだろうか。
繰り返す日々を想うとき、ときにそんなことを考えるのだ。
いつか見た、冬の夕暮れ。