時に小満。
太陽の光を浴びて、あらゆる命が生き生きと輝きだす時候。
日ごと上昇する気温に、草木の緑は色濃くなり、田植えなど農家の繁忙期を迎える。
…のはずなのだが、今朝は土砂降りの大雨。
災害の注意報が出されるような、ひどい降りだった。
少し傘をさして歩いただけで、上も下もべたべたになってしまうような大雨。
一年で最も気持ちのいい季節。
それが、もう梅雨入りしてしまうとは…
そう思うと、残念な心持ちもありながら。
ただそれもまた、目の前の季節の移ろいであると思い直す。
想像したとおりに、お望みどおりに晴れる日もあれば、そうでもない日もある。
処暑も過ぎたのに、厳しい暑さに辟易したと思えば、夜の風に寂しさを覚える。
そんな風に、日々の季節の移ろいを眺めるのは、どこか内省に似ている。
とてもいい気分の日もあれば、土砂降りのように激情を覚える日もある。
いつまでこの悲しみを抱えればいいのだろうと思えば、そんなことなどケロリと忘れて笑い合うときもある。
そこに理由などなく、また、そうでなくてはならないこともない。
ただ、うたかたのように湧き上がっては消えてゆく、自らの感情を見つめること。
現れては消えゆき、変わりゆく感情を、見つめているという事実だけが、変わらない。
それが、内省と言える。
日々の移ろいはあれど、季節が流れていくことだけは、変わりがないように。
ただ、見つめよう。
土砂降りの、小満。
そんな日もあれど、季節は流れていく。
そんな日もあれど、人生は流れていく。