夕立ちと呼ぶには、あまりにも激しい雨が降りました。
みるみるうちに暗くなった空は、急に夜になったようで。
その空には雷光が走り、同時に滝のような雨が降り出していました。
梅雨も終わりに近づくと、大雨が降ることがあると聞きます。
とはいえ、激情をぶつけるようなその雨の降り方は、つい先ほどまで見えていた青空とは不似合いなようです。
軒下で雨宿りをしながら、わたしは畏怖の念とともに眺めていました。
傘もまったく役に立たなそうな、横殴りの降り方。
それにしても風情のない降り方だと、どこか他人のように、雨粒が描くいくつもの線を見つめていました。
天気というのは、不思議なものです。
晴れたり曇ったり雨が降ったり雪降ったり。
移り変わる空模様を、いつも眺めています。
季節もまた、似たようなものかもしれません。
桜の開花にこころ躍らせ、入道雲を日傘越しに眺め、暖色の落ち葉に想いを寄せ、吐く息の白さに手のひらをかざす。
流れゆく季節を、いつも眺めています。
あるいは、人のこころの内面もまた、同じように感じます。
あたたかなつながりを感じたり、凪のような時間があり、凍えるようなさびしさがあり、あるいは、よろこびといろどりを感じたり。
日々生まれ、日々消えゆくうたかたのような感情を、いつも眺めています。
その空模様の織りなり、季節のめぐり、あるいは心もよう。
それらは移ろい、流れ、変わりゆき、それを観る者を飽きさせません。
けれど、その移ろいの裏側に、変わらないなにかがあるようにも感じます。
目の前の事象ではない、何か。
天気、季節、感情。
そういった一般名詞でしか表せない、何か。
そうしたものが、たしかにあるような気がするのです。
この夕立とも呼べないような土砂降りの雨も、いつしか晴れ間が広がるように。
流れる季節とともに、空の色が深まるように。
さびしさもまた、いつしかあたたかな愛に変わるように。
移り変わりゆくものの中に、人は永遠を見ることができます。
去りゆくものの中に、人は望郷を覚えることができます。
さびしさと痛みの中に、人はいとおしさとあたたかさを感じることができます。
不完全さの中に、完全を見ること。
それは、人に与えられた最も偉大な才能の一つのように感じます。
不完全の中の、完全。
それは、愛と言い換えられるものなのかもしれません。