大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー見習い。

芒種、紫陽花変化。

時に芒種。

 

芒(のぎ)とは稲の穂先の針のような突起を指し、麦などの穂が出る作物を植えるころ。

稲の植え付けに適した時期であるとともに、梅雨入りの報を聞く時候でもある。

 

今年はもうすでに梅雨入りはしているものの、しばらく晴れ間が続いていた。

昨日は少し雨が降ったが、今朝はまた晴れ間が広がっていた。

 

いつもの川沿いの道、日差しはもう新緑から初夏の装いに変わっていた。

紫陽花が、もう満開になっていた。

 

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たくさんの花が集まって、まるで花束を手向けられたようで。

 

紫陽花は、やはり雨粒に濡れる姿が美しいと思うのだが、こうして陽の光の下で見る紫陽花も、美しい。

 

美とは、絶対的なのものなのか、それとも相対的なのものなのか。

よく分からなくなるが、美しさという情感が存在することは、たしかなのだろう。

 

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ピンクと、淡い水色の紫陽花が並んで。

紫陽花の色は、土に含まれる成分が酸性かアルカリ性かの違いによって、変わると聞いたことがある。

それなのに、こんなに隣り合った紫陽花の色が全く違うのは、いったいどうしたことだろう。

 

考えてみると不思議ではあるが、世の中にはそんなこともあるのかもしれない。

 

同じ土から育ったとしても、違う色の花が咲くように。

同じように育ったとしても、まったく違う人物になることもある。

それは、どうしたって人智のおよぶ範囲ではないのかもしれない。

ただ、そうだったとしか、言いようのない、世界のありよう。

 

同じ土に生え、天から同じ雨を注がれ、同じように陽を浴びても、違う花が咲く。

時には、そんなこともある。

ピンクが本来の紫陽花か、淡い水色がほんとの紫陽花だとか、そんなこともないだろう。

 

どちらも、いま目の前の紫陽花は、ただ咲いている。

目に映る世界の、不思議さと奇跡というべきか。

 

その不思議さを、みずみずしさを。

いつも感じられる身体でいたいと思う芒種のころ、笑う紫陽花とともに。

 

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