「梅雨入り」が宣言されると、不思議と晴れ間が続くことがよくある。
けれど今年は、梅雨入り宣言から見事に一週間、まさに「梅雨空」という天気が続いた。
洗濯物を干す場所に困り、部屋干しで生乾きになってしまうのも、梅雨ならではある。
カビが生えやすいことから、「梅雨」は「黴雨(ばいう)」とも書いたと聞く。
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「芒種」の時候も末侯となり、七十二侯では「梅子黄(うめのみきばむ)」のころ。
青々としていた梅の実が、黄色く色づく時期である。
本来の意味である「梅の実が熟す頃に降る雨」という「梅雨」。
まさに、その名の通りに色づく梅を、道すがらで見かけるようになってきた。
一雨ごとに、ほのかに暖色を増していくようで。
この時期の貴重な楽しみである。
その雨は、梅の実を色づける。
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どんな雨も、それを止ませようとするほど、無駄なことはない。
かの良寛さんが仰っておられる通り、
災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候
なのだろう。
降り続く雨は、そのままに。
それは、必ず雨が止むのだから、と信頼することではない。
どうせ雨なんて止まない、と諦めることでもない。
そうではなくて、すでに降っている雨を見つめる、ということだ。
心地よかった新緑の季節に思いを馳せたり、あるいは梅雨明けの夏空を考えた途端に、それは遠く離れていく。
過去も未来も、そこには要らない。
すべてを、起こったままに見つめる。
それこそが、いまを、自分を、世界を信頼する第一歩なのだろう。