大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

久々のピンチは、世に出ることへの強烈な怖れを教えてくれた。

さて、昨日の出来事の続き。

oosakinaoto.com

まとめると、依頼された原稿があったのだが、先方から依頼されたテーマとは違うテーマで書いてしまった、というあり得ないミスだ。
依頼された内容を取り違えるという、普段なら絶対にしないようなミス。
それだけにすぐには立ち直れず、執筆作業に入れない。現実逃避しながら、このブログを書いている。

自分の心の中を内観していくと、ショックだったのは2点。

一つは、いままで守ってきた納期を遅延したこと。
今回の案件は、いままでとは違う立て付けで、掲載される媒体も違う。それだけに大事な仕事だと自分では捉えていたはずなのに、なぜ、いまこんなことになるのだろう。
それが、ショックなようだ。

もう一つは、作品への思い入れだ。
今回、3つのテーマで書かせて頂いたのだが、その中で間違って書いてしまった原稿が、自分の中で一番いい出来だと思っていた。それだけに、世に出したかった。
それが、ショックだ。

さて、ショックなのは事実なのだが、それはそれとして。
起こっていることが全て正しいとするなら、この出来事は何を教えてくれるのだろう。

しばし、自分の内面から離れて、俯瞰してみようといろいろ考えをめぐらしてみる。

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自分の中では、今回の原稿が媒体に掲載されることを楽しみにしていた。
納品も終わったので、早く掲載されないかな、とすら思っていた。
それは、間違いない。

けれど、本当にそうだろうか。
人の心というものは、表層に見えるものとまったく逆向きの感情を持っている。「あんたなんか、大嫌い!」という台詞の裏に、愛が眠っていることなど、よくある話だ。

出来事、または事実だけを、見てみよう。

・これまでと違った形で掲載される仕事の依頼を受けた。
・忙しくて確認不足で、依頼されたテーマを取り違えた。
・納期を守れなかった。
・取り違えたテーマの原稿(採用されない原稿)が最もいい出来だった。

すべての問題は自作自演であり、自分がつくっている。決して自己否定ではなく、「自分がこの状況を(意図的に)つくっている」という視点で見ると、もう少し違って見えてくる。

・これまでと違った形で掲載される仕事の依頼を受けた。
・依頼されたテーマを、自分から取り違えた。
・納期を守らなかった
採用されない原稿だから、最もいい出来の原稿が書けた。

どうだろうか。
それがいい/悪いという話ではい。私自身が、そうしたかった。そう考えると、違った世界が見えてくる。
そこから、一つの推測が導かれる。

わたしは、楽しみにしているように見えて、実は自分の原稿が世に出るのが怖かった。

今回の案件で、今までとは違った形で自分の文章が世に出ること、名前が出ること、ある種の夢が叶うこと…そういったことが、怖いのだ。だって、逃げられなくなってしまうから。だからこそ、採用されるはずもない原稿に、一生懸命になる。すべて、自分の意識の深いところでは、分かっているのかもしれない。

もちろん、そうかもしれないし、そうではないかもしれない。
けれど、その見方というのは、単に自分がミスをしたと責めるよりも、世界を広げてくれる。

そして、それが分かったから、何か対処方法があるのかといえば、おそらくはないのだろう。
時間を巻き戻すことはできないし、自分を責めるのをやめようとおもって責めてしまうし、よし!怖れを克服しよう!と思ったところで、そう簡単にはできないからだ。

やることは、何も変わらない。
いま、できることをすることしかできない。

こうして毎日のブログを書き、白地の画面に向き合うだけだ。

久々のピンチは、世に出ることへの強烈な怖れを教えてくれた。

その怖れも、そのままに。
ここまで導いてくださった方々のことを想いながら。

もう少し、がんばります。