大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

断酒日記 【1028日目】 ~陶酔なき熱狂を。

久々のような気がする、断酒日記です。

断酒をはじめて1028日、2年10カ月弱になります。
もうすぐ3年かと思うと、時間の流れがよく分からなくなります。

肌寒い近所の川の橋の上で、「なんとなく」断酒を決めた、あの日。
霧のような雨の感触を、よく覚えています。

以前にも書いたような気がしますが、こと私のこれまでを振り返ると、「強固な決断」や「明確な目標」よりも、ただ「なんとなく」に導かれていることが多いように感じます。

あの日、あの橋の上で。
私は何を想い、何を捨て、何を拾ったのか。

時折、そんなことを考えます。

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どこか、お酒に酔っている時は、この世界に熱狂していたように思います。
それは、お酒のもたらす陶酔とともにありました。

心拍数の上昇や、血流の増大、興奮、酩酊状態。そういった肉体的な変化は、多かれ少なかれ、体感としての世界を変えるようです。

お酒とともにあった、楽しい時間。それは、いまこの目の前の世界への、狂おしいほどの愛おしさであり、熱狂でした。このまま、時間が過ぎなければいいのに、と。

けれど、その願いは必ず破られました。
満ちた潮は必ず引いていくように、明け方の酩酊からの覚醒は、必ず訪れます。しかも、潮が引いた後の荒涼とした砂浜のように、茫洋とした景色が広がっているだけでした。そこには、熱狂の残り香もありませんでした。
残るのは、ひどい頭痛と、喉の渇きだけ。

私がもう少しお酒が強かったら、また付き合い方も違ったのでしょうか。まあ、それを言い始めると、そもそも体質的にお酒が飲めなかったら、という仮定もできてしまうので、あまり意味があるようにも思えないのですが。

ただ、もしかしたら、その熱狂と荒涼のアップダウンに、飽きたのかもしれません。

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さまざまな体験と同じように、陶酔には終わりがある。
それが、どうにも我慢がならなかった。

そのままの世界を、見たかった。
そう書くと、少し叙情的過ぎるでしょうか。

熱狂には、陶酔が必要なのか、どうか。
陶酔がなくても、熱狂はできるのではないか。

断酒は、そうした問いも含んでいるように感じます。

それは、お酒だけではなく。
いろんな「刺激物」、「問題」、あるいはその反対に「成功」といったものに、置き換えて考えることもできそうです。

陶酔なき、熱狂。
もしそれがあるとするならば、それはどんな世界なのか。
目に映るすべてを、是とする世界なのでしょうか。

今日はとても抽象的な日記になりましたが、そんなことを想う、断酒1028日目でした。