モニター・カウンセリングのご感想をいただきました。
もやもやしていたところがほぐれたとお書きくださり、うれしく思います。
〇大嵜直人のカウンセリングを受けようと思われた理由を、お教えください。
夫婦問題から長く自分と向き合ってきたこの時期に、男性カウンセラーにお話を伺っていただきたかったからです。
〇カウンセリングを受けてのご感想を、ご記入ください。
カウンセリング中ずっと穏やかな口調と表情で接していただけたからでしょうか、私自身も素直に話をさせていただけた気がします。
私が真摯に向き合ってきた時間についても褒めてくださいました。
そして男性心理を学んでみてもなかなか難しい男性側の思いを語ってくださったことは、私がこの時期に大嵜さんに出会ったことの大きな理由だったのではないかと思っています。
〇その他、ご意見やご要望などございましたら、自由にご記入ください。
私の変化があったから起こったであろう夫の変化。
男性カウンセラーからの言葉がどれだけ励みになったことでしょう。
「愛(感謝)と笑顔」をビジョンにすると決めたとこに、笑顔と無邪気さがありますよとお声掛けいただき、純粋に伝わる人には伝わっていくんだなあとしみじみ嬉しかったです。
12月に入り??という状況があった中、夫側の理解を深められました。
もちろん、真実は夫に尋ねなければ分からないでしょうが、私はカウンセラーの方から見てのお話を聞きたかったので、今の私が一番もやもやしていたところをほぐしていただけました。
(K.S さま)
カウンセリングに限ったことではありませんが、人と話すことの効用に、自分とは違う視点を知ることができる、ということがあります。
ある事象からどんな解釈をするかは、それを観る人に委ねられています。同じ事象を聞いても、180度違う解釈があることを知れるのは、人と話すことの大きな恩恵かと思います。
もちろん、どの見方が正しい/間違っている、といった話ではなく、ましてカウンセラーなら真実の解釈ができる、といったものでもなく、「もしかしたら、そうかもしれない」と思えることは、大きな癒しであると思うのです。
そういった意味では、男性としての視点をご提供できましたことは、うれしく、そしてありがたく存じます。
「群盲象を評す」というインドの寓話があります。
いろんな形で伝えられていますが、ある形では6人の盲人が象に触れて、それが何か?と問われたと聞きます。
足を触った盲人は柱のようですと言い、
尾を触った盲人は綱のようですと言い、
鼻を触った盲人は木の枝のようですと言い、
耳を触った盲人は扇のようですと言い、
腹を触った盲人は壁のようですと言い、
牙を触った盲人はパイプのようですと言いました。
その答えは、どれもまったく違う姿を評していながら、それでいてどれもが象の特徴を指し示しています。
この寓話からは、さまざまな解釈や教訓が伝えられますが、その一つとしては、解釈の多様性を知ることの大切さを説いてくれるようです。
どの見方も真実であり、どの見方も正しい。けれど、ある見方とは違う見方があることも、また真実です。そしてその解釈はどれもが、一つのもの(寓話では象)を評したものです。少しクサい話になってしまいますが、寓話で「象」とされたものは、ある意味で「愛」に置き換えられるのかもしれません。
その中で、私が大切にしたいのは、「なぜ、その見方をするのだろう?」という視点です。そこには、ある種の痛みであり、癒し難い傷があったからこそなのですが、その裏にはその人の唯一無二と言っていい才能、価値、魅力が隠れているからです。
カウンセリングの限られた時間の中で、できるだけそこを私は見続けたいと思っています。
K.Sさまには、豊かな女性性と、その示現としての笑顔や無邪気さがありました。
一つ一つのものの見方は、先ほど申し上げた「愛」のかけらなのかもしれません。
ばらばらになってしまったそれを集め、ご自身の偉大さにあらためて気づいていただいたり、その集めた愛を大切な人に贈ってみたり。
そんなカウンセリングが、ご提供できるようになりたいと思っておりますので、引き続き精進してまいります。
もやもやしていたところがほぐれたとお書きくださいましたが、そのようなお時間をご提供できましたことを、うれしく思います。
あらためまして、K.Sさまのこれからを、心より応援しております。
モニター・カウンセリングの機会をいただきまして、ありがとうございました!