今日は、私の個人的な想いを書き綴ってみたいと思います。
いつもの心理学的な記事はお休みですので、また明日以降楽しみにしていてくださいませ。
昨日、カウンセリングを受けてきました。
「カウンセラーなのに?」と思われるかもしれませんが、「カウンセラーだからこそ」なんです。
「医者の不養生」なんて言葉もありますが、自分のメンテナンスというのは、非常に大切なものです。
そしてもちろん、自分がカウンセリングを受けることで、さまざまな学びがあります。
「癒し上手は、癒され上手」という言葉もありますが、自分が癒された分だけ、人を癒していくことができます。
逆に言えば、自分が癒された分だけしか、人を癒すことはできないようです。
どれだけ人と向き合ってきたかが、クライアントさまと向き合える深さを決めるともいえるのだと思います。
というわけではないのですが、私自身も定期的にカウンセリングを受けるようにしています。
カウンセリングに求められるのは、カウンセラー自身の生き方であり、その人の世界観や人生観であり、ひいてはどのようにして他人と関わるかという哲学、「誰かのために」という情熱や強い想いが大切なように感じます。
大前提として、知識や技術が必要になるのは、もちろんなのですが。
あくまで「私は」ですが、自分自身がそうした想いを感じられるカウンセラーに、話を聞いていただきたいと感じます。
だから、私自身もまた、「自分はどのようなカウンセラーで、どのような生き方をして、どのような言葉を伝えるのか」ということを、もっと明確にして表現していきたいな、と感じます。
そうすることが、これからご縁をいただくクライアントさまに、私ができることなのだと思うのです。
昨日、カウンセリングを受けて。
やっぱり、カウンセリングっていいな、と感じました。ほんとに。
答えを教えるわけでもなく、自分に対して真摯に向き合ってくださるカウンセラーを通じて、気づきと成長、そして癒しがもたらされる。
私がしたいのは、やはりカウンセリングなんだな、と感じました。
「自分自身と、もっとなかよくなって、そして真摯に向き合っていきたい」
「もっとご提供できるカウンセリングの質を高めていきたい」
「『大嵜直人らしいカウンセリング』を、考え続けていきたい」
「『いいカウンセリングとは何か』を、問い続けていきたい」
「クライアントさまの素晴らしさを、もっともっと見つけられるようにしたい」
あらためて、そのように強く感じました。
いつもだと自己否定という邪念が混じってしまうのですが笑、カウンセリングのおかげで、今日は純粋にそう思っております。
ということで、今日はカウンセリング明けのぼんやりした頭で、そんなことを考えておりました。
引き続き、大嵜直人のカウンセリングを磨いて、その質を高めていきたいと思います。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。