あれは、中学校3年生になったころだったでしょうか。
よく雨の降る、梅雨時だったように思います。
当時、サッカー部に入っていたのですが、まったく走れなくなりました。
走れることは走れるのですが、息がすぐに上がってしまうのです。
風邪を引いているときのように、身体を動かすとゼエゼエと肩で息をしてしまう。
それはどんどんとひどくなっていくようでした。
運動をしていないときでも、身体が気だるく、何をするにも億劫になりました。
これはおかしい、と近所のかかりつけ医に診察に何度か連れて行ってもらったのですが、「どこかが痛い」というような明確な症状がなかったせいか、問診だけで「よく休養を取るように」という診察でした。
しかし、階段を登るにも苦労するようになり、これはおかしいと思い、違う病院にかかったところ、血液検査をすることになりました。
結果は、「鉄欠乏性貧血」の診断。
酸素を運ぶ血液中のヘモグロビンが、健康な人の半分以下しかないことが分かりました。
これじゃ、日常生活もままならないでしょうと、すぐに入院することになりました。
この身体のしんどさの原因は分かったのですが、なぜそうなったのかは分からないため、鉄剤を飲みながら経過観察することになったのです。
中学校の最後、部活だったりなんだったり、いろんなことがあったとは思うのですが、ただひたすら休養するだけ、という夏になりました。
ぎりぎり15歳未満でしたので、小児科の病棟に入院することになり、私は夏を白い壁の大部屋で、過ごすことになったのです。
とはいえ、適応性が高いのか、当の私はそれほどショックでもなかったように覚えています。
6人一部屋の病室には、小さな子どもたちがいて、いろんな話をしたりしていました。
窓から眺める景色が、夏の日差しにきらきらと輝いていたのが印象的で、いつもその景色を眺めていました。
思春期の夏をずっと病院で過ごすとは、しんどそうなものですが、そう感じた記憶がないのは、不思議なものです。
生来の、一人遊びが苦にならないことが、幸いしたのかもしれません。
それよりも、このしんどさの原因がわかってほっとしたことへの安心感のほうが、大きかったように思います。
その診断がされる前の、こんなにしんどいのに、原因も分からず、誰にも理解されない、ということの方が辛かったように思います。
やはり、人は自分の気持ちや心情を理解されないということが、何よりもしんどいことのようです。
入院中のベッドの上で、そんなことをぼんやりと考えていました。
さて、処方された鉄剤と入院して安静にしていたおかげで、ひと月半ほどで、ある程度快復して、退院することができました。
なぜ貧血になったのかは、結局、原因がよくわかりませんでした。
身体も大きく変化する思春期で、いろんなバランスが崩れたのではないか、というくらいのことしか、分かりませんでした。
その後、経過観察でその病院をしばらく定期的に訪れていたのですが、特に再発することもなく、いまに至ります。
その病院を訪れるたびに。
あの入院していたベッドの窓から見える景色は、夏の色から変わっているのだろうかと思ったものでした。