大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

辛いとき、しんどいとき、いつも言葉を探していました。

世界は自分自身の投影であり、見方ひとつでその姿を変えます。

それは真実だけれども。

どうしようもなく悲しいできごと、しんどいとき、辛いことが起こることが、時にはあります。

そうしたときに、めいっぱい悲しんだり、落ち込んだりすることは、とても大切なことだと思うのです。

辛い。悲しい。寂しい。悔しい。

あるいは、心の震えであったり、魂の叫びであったり。

そうしたときに、私はいつも言葉を探していました。

いまの自分を包み込み、癒し、鼓舞することのできる言葉を。

これからの自分の道を照らす、灯りのような言葉を。

それは、自分を探すことと、同じことなのかもしれません。

 

自分というのは、ほんとうに分からないものです。

いや、周りの人にとっては、明らかなことなのかもしれませんが。

自分にとって自分自身というのは、ほんとうに摩訶不思議な存在でもあります。

それも、さもありなん、とも思うのです。

自分が頼んだわけでもないのに、与えられた身体。

自分が意識していないのに、その身体は今日も呼吸をやめないし、左胸は鼓動を続けます。

自分であって、自分でないような。

そんな存在が、自分自身なのかもしれません。

それはどこか、与えられる権利に、義務がくっついてくること似ている気がします。

この身体は、この私という存在は、私のものであって、私のものではない。

けれども、たとえそうだとしても。

この辛さやしんどさ、胸をはりさくような悲しみは、どこへも行かないのです。

だから、それを癒すことのできる言葉を、いつも探していました。

 

自分自身が、分からない。

それを知りたくて、私たちはいろんな旅をします。

その旅で、何を見つけるのかは、それは人それぞれなのでしょう。

安心感のあるパートナー。

誇れる自分。

誰かを手助けできる財力。

両の手に余るくらいの大きな夢。

それは、自分自身が思ってもいなかったものかもしれません。

ほんとうにほしかったものは、当初描いていたものとは、違うものかもしれません。

私は、言葉を探していたように思います。

そして、その旅のなかで出会った言葉は、いつも私のそばにいてくれるのです。

 

ただただ、自分を信じてください。

自分の生きてきた道を信じ、出会った人たちを信じ、そして未来を信じるのです。

 

私自身に与えられたそんな言葉たちを、私も与えていきたいと思うのです。