「自立」の行きつく先である「デッドゾーン」の心理についてです。
「デッドゾーン」とは、自分のアイデンティティが変わるタイミングという視点で、お伝えしたいと思います。
1.「デッドゾーン」の心理
「デッドゾーン」と呼ばれる状態があります。
なんでも自分一人でがんばろうとする「自立」の行きつく先であり、無気力や無感動、燃え尽き症候群、果ては死の誘惑が訪れることもあります。
「こんなことをして、何の意味があるのだろう」
「自分のしていることに価値が見いだせず、何もする気がしない」
などといった気分になるのが、典型的な症状といえます。
以前にこちらの記事でも、詳しく書きました。
「自立」の行きつく先ではありますが、その先の「相互依存」にいたるための通過儀礼のような存在でもあります。
なので、いくら無気力や無感動、燃え尽きた感じがしても、「デッドゾーンが悪い」というわけでもありません。
それは、他の心理的な問題と、同じです。
「デッドゾーン」とは、いわば死に近い場所でもあります。
しかしそれゆえに、「新たな生」「再誕生」に近い場所でもあります。
新しい自分に出会える場所ともいえるわけです。
今日は、「相互依存」にいたる道というよりも、その「新しい自分」という視点で、「デッドゾーン」を見てみたいと思います。
2.アイデンティティが揺らぐとき
変わりゆく世界、変わらない「わたし」
私たちは、自分に対してのイメージや観念を持っています。
これを「アイデンティティ」といったり、「自己同一性」と呼んだりします。
「私はこういう人間だ」
「私はこんな人だ」
明確に言語化できるかどうかは別としても、そんなイメージを私たちは持っています。
それがあるからこそ、日々変わりゆく世界のなかで、私たちは「自分」というものを保つことができます。
考えてみれば、毎日気温も変われば、湿度も変わる。
周りの人も日々変わりゆくでしょうし、もっと言えば、私たちの身体も、昨日とは同じものではありません。
そんな、日々激変する世界の中で、「わたし」という一つの存在を保つことができるのは、そうした自己イメージ、あるいはアイデンティティのおかげです。
どれだけ世界がその姿を変えても、「わたし」という定点だけは、変わらない。
観測者としての、位置づけといえるかもしれません。
その立ち位置があるからこそ、私たちは変わりゆく世界のなかで、自分を保つことができています。
アイデンティティの揺らぎ
しかし、この「わたし」という定点は、絶対不変なものではありません。
この「わたし」というアイデンティティの揺らぎの最初は、多くの人において思春期に訪れます。
自分という存在に視線が向き始め、周りからどう見られるか?が、とても気になる時期ですよね。
鏡の前で、自分の顔や髪形とにらめっこした経験は、だれにでもあるのではないでしょうか。
わたしも、自分のくせ毛がイヤで、ずっとドライヤーと格闘していた記憶があります笑
それはさておいても、「自分ってなんだろう?」という問いに答えるために、私たちは思春期を通じて、いろんな人と触れ合い、書物やネットの知識のなかに答えを探し、あるいは恋愛をしたりして、自分を探します。
そうしたなかで、「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤をしながら、「わたし」という定点を決めていくわけです。
しかし、そうして定まった「わたし」というアイデンティティもまた、永遠不変なものではありません。
思春期以降も、そうしたアイデンティティが揺らぐタイミングが訪れます。
それは、生活環境の変化がもたらすこともありますが、いわゆる「問題」がそれを強いる場合もあります。
たとえばですが、子育てを一通り終えた親が、それまで自分のアイデンティティの大部分を「親」というポジションが占めていたのに、それがなくなってしまい、「わたしは、なにをしたらいいのだろう?」とわけがわからなくなってしまったり。
それまで付き合っていたパートナーに浮気され別れることになり、「いままで、わたしのしていたことって、いったい…?」という状態になったり。
あるいは、大切にしていたペットを亡くしたり、金銭的・経済的な問題を抱えたときにも、そうした「わたし」が揺らぐタイミングが訪れたりもします。
そうしたタイミングは、ある意味で自分のコントロールしようのないことといえるかもしれません。
3.もう、それまでの自分ではいられない
「デッドゾーン」の典型的な症状の一つは、「いままでの自分がしてきたことに、価値を感じられない」という感覚です。
それゆえに、無気力、無感動になり、何をしても意味ないんじゃないか、と感じたりもします。
もちろん、それはそれでしんどいことなのですが、それは「それまでの自分では、生きられなくなるタイミング」と見ることもできます。
まあ、言葉を変えても、結局、冒頭に述べた「再誕生」と同じ意味合いではあるのですけれどね笑
それまでの自分では、生きられなくなるタイミング。
それゆえ、それまで自分がやってきた方法ややり方は、通用しなくなります。
それをすればするほど、ますます渇いていくものです。
しかし、注意したいのは、じゃあやり方を変えればいいかといえば、そうでもないわけです。
これは、何度新しいパートナーとお付き合いしても、結局は同じ問題が起こる、という事象に、よく似ています。
「デッドゾーン」で問われているのは、やり方ではなく在り方であり、「わたし」という概念の再構築といえます。
それゆえ、「デッドゾーン」を抜けだすのには時間がかかるものですし、一朝一夕に「生まれ変わった!」ということもないわけです。
なんだか、希望が持てない感じに聞こえるかもしれませんね笑
けれども、そうじゃないんですよね。
それだけに、大きい変化が訪れているのであり、それだけ、大切なターニングポイントと言えるのでしょう。
「デッドゾーン」にいるときには、焦らずに、じっくりと。
もう一度、「わたし」という存在と向き合ってみることが、必要になるのだと思うのです。
それは必ず、新しい「わたし」に出会えるという、大きな恩恵を与えてくれるのですから。
今日は、「デッドゾーン」とは、自分というアイデンティティが揺らぐタイミング、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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