大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

自分が自分でなくなるタイミングでもある、「デッドゾーン」。

「自立」の行きつく先である「デッドゾーン」の心理についてです。

「デッドゾーン」とは、自分のアイデンティティが変わるタイミングという視点で、お伝えしたいと思います。

1.「デッドゾーン」の心理

「デッドゾーン」と呼ばれる状態があります。

なんでも自分一人でがんばろうとする「自立」の行きつく先であり、無気力や無感動、燃え尽き症候群、果ては死の誘惑が訪れることもあります。

「こんなことをして、何の意味があるのだろう」

「自分のしていることに価値が見いだせず、何もする気がしない」

などといった気分になるのが、典型的な症状といえます。

以前にこちらの記事でも、詳しく書きました。

「デッドゾーン」に、祝福を。 - 大嵜直人のブログ

 

「自立」の行きつく先ではありますが、その先の「相互依存」にいたるための通過儀礼のような存在でもあります。

なので、いくら無気力や無感動、燃え尽きた感じがしても、「デッドゾーンが悪い」というわけでもありません。

それは、他の心理的な問題と、同じです。

「デッドゾーン」とは、いわば死に近い場所でもあります。

しかしそれゆえに、「新たな生」「再誕生」に近い場所でもあります。

新しい自分に出会える場所ともいえるわけです。

今日は、「相互依存」にいたる道というよりも、その「新しい自分」という視点で、「デッドゾーン」を見てみたいと思います。

2.アイデンティティが揺らぐとき

変わりゆく世界、変わらない「わたし」

私たちは、自分に対してのイメージや観念を持っています。

これを「アイデンティティ」といったり、「自己同一性」と呼んだりします。

「私はこういう人間だ」

「私はこんな人だ」

明確に言語化できるかどうかは別としても、そんなイメージを私たちは持っています。

それがあるからこそ、日々変わりゆく世界のなかで、私たちは「自分」というものを保つことができます。

考えてみれば、毎日気温も変われば、湿度も変わる。

周りの人も日々変わりゆくでしょうし、もっと言えば、私たちの身体も、昨日とは同じものではありません。

そんな、日々激変する世界の中で、「わたし」という一つの存在を保つことができるのは、そうした自己イメージ、あるいはアイデンティティのおかげです。

どれだけ世界がその姿を変えても、「わたし」という定点だけは、変わらない。

観測者としての、位置づけといえるかもしれません。

その立ち位置があるからこそ、私たちは変わりゆく世界のなかで、自分を保つことができています。

アイデンティティの揺らぎ

しかし、この「わたし」という定点は、絶対不変なものではありません。

この「わたし」というアイデンティティの揺らぎの最初は、多くの人において思春期に訪れます。

自分という存在に視線が向き始め、周りからどう見られるか?が、とても気になる時期ですよね。

鏡の前で、自分の顔や髪形とにらめっこした経験は、だれにでもあるのではないでしょうか。

わたしも、自分のくせ毛がイヤで、ずっとドライヤーと格闘していた記憶があります笑

それはさておいても、「自分ってなんだろう?」という問いに答えるために、私たちは思春期を通じて、いろんな人と触れ合い、書物やネットの知識のなかに答えを探し、あるいは恋愛をしたりして、自分を探します。

そうしたなかで、「ああでもない、こうでもない」と試行錯誤をしながら、「わたし」という定点を決めていくわけです。

しかし、そうして定まった「わたし」というアイデンティティもまた、永遠不変なものではありません。

思春期以降も、そうしたアイデンティティが揺らぐタイミングが訪れます。

それは、生活環境の変化がもたらすこともありますが、いわゆる「問題」がそれを強いる場合もあります。

たとえばですが、子育てを一通り終えた親が、それまで自分のアイデンティティの大部分を「親」というポジションが占めていたのに、それがなくなってしまい、「わたしは、なにをしたらいいのだろう?」とわけがわからなくなってしまったり。

それまで付き合っていたパートナーに浮気され別れることになり、「いままで、わたしのしていたことって、いったい…?」という状態になったり。

あるいは、大切にしていたペットを亡くしたり、金銭的・経済的な問題を抱えたときにも、そうした「わたし」が揺らぐタイミングが訪れたりもします。

そうしたタイミングは、ある意味で自分のコントロールしようのないことといえるかもしれません。

3.もう、それまでの自分ではいられない

「デッドゾーン」の典型的な症状の一つは、「いままでの自分がしてきたことに、価値を感じられない」という感覚です。

それゆえに、無気力、無感動になり、何をしても意味ないんじゃないか、と感じたりもします。

もちろん、それはそれでしんどいことなのですが、それは「それまでの自分では、生きられなくなるタイミング」と見ることもできます。

まあ、言葉を変えても、結局、冒頭に述べた「再誕生」と同じ意味合いではあるのですけれどね笑

それまでの自分では、生きられなくなるタイミング。

それゆえ、それまで自分がやってきた方法ややり方は、通用しなくなります。

それをすればするほど、ますます渇いていくものです。

しかし、注意したいのは、じゃあやり方を変えればいいかといえば、そうでもないわけです。

これは、何度新しいパートナーとお付き合いしても、結局は同じ問題が起こる、という事象に、よく似ています。

「デッドゾーン」で問われているのは、やり方ではなく在り方であり、「わたし」という概念の再構築といえます。

それゆえ、「デッドゾーン」を抜けだすのには時間がかかるものですし、一朝一夕に「生まれ変わった!」ということもないわけです。

なんだか、希望が持てない感じに聞こえるかもしれませんね笑

けれども、そうじゃないんですよね。

それだけに、大きい変化が訪れているのであり、それだけ、大切なターニングポイントと言えるのでしょう。

「デッドゾーン」にいるときには、焦らずに、じっくりと。

もう一度、「わたし」という存在と向き合ってみることが、必要になるのだと思うのです。

それは必ず、新しい「わたし」に出会えるという、大きな恩恵を与えてくれるのですから。

 

今日は、「デッドゾーン」とは、自分というアイデンティティが揺らぐタイミング、というテーマでお伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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