自分で何でもやろうとする「自立」が過ぎると、「デッドゾーン」におちいったりします。
しかしそこは、「誕生」と最も近い場所であったりするようです。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.セックスやパートナシップに生気が失われたら、新しい「誕生」のプロセスに入っていくとき
いきいきした感じがなく、死んでいるような感覚というのは、無意識のなかに入らないように防衛しているのです。
そんな状態から脱皮するもっとも早い方法のひとつは、その奥に隠れている大きな感情を見つけだすことです。
その感情は大きな強さと力を秘めているので、正しい目で見れば、自動的にあなたは新しい「誕生」に導かれることでしょう。
こうした感情はあなたをがっくりと打ちのめすようなものです。
胸がはりさけるような悲しみ、嫉妬、ものすごい恐怖や怒り、攻撃性、脱力感、虚無感、むなしさ……。
でも、そのすべてが本当は「誕生」の状態なのです。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.270
2.自立の極北、「デッドゾーン」
今日のテーマは、「誕生」です。
何かが生まれるとき。それは、どんな感覚なのでしょうか。
依存から自立へ、デッドゾーンにいたるまで
「誕生」が生の象徴であるのなら、その反対もまた、生に深く結びついています。
「誕生」の反対である、「死」。
それは、肉体的なものであるとともに、心の世界でも起こりえます。
いわゆる、「デッドゾーン」とよばれる心理です。
こちらの記事でも書きましたが、「デッドゾーン」とは、「自立」の心理の行き着く先です。
「依存→自立→相互依存」といたる、心の成長プロセスのなかの、「自立」のステージ。
その極北ともいえるのが、「デッドゾーン」になります。
どんなことであれ、私たちはまず「自分では何もできない、誰かに何とかしてもらいたい」という「依存」の状態からスタートします。
自分の欲求を、誰かに叶えてもらいたい、誰かに与えてもらいたい、という状態ですね。
しかし、その欲求は、常に叶えてもらえるものではありません。
相手にも都合があるでしょうし、その相手に振り回されてしまうのが、「依存」の辛さの一つです。
それが叶えられないと、自分には価値が無い、という無価値感もまた、強くなっていきます。
さて、そうした「依存」の状態はしんどいので、人は「自立」していきます。
「依存」のしんどさから、他人に頼るのをやめようとするわけですよね。
「誰かに何とかしてもらいたい」状態から、「何でも人に頼らず、自分でやる」という状態へ。
それは、自分の足で立つ、という大きな恩恵を与えてくれます。
しかし、それがゆえに、自分のやり方や、自分の正しさ、あるいは勝ち負けに、非常にこだわるようになるのが、「自立」の特徴です。
だって、そこで負けてしまったら、またしんどい「依存」の状態に落ちてしまうわけですから。
デッドゾーンの心理
さて、その一方で、「依存」の時代にあった、他人への依存的な欲求は、「自立」したからといって、なくなるわけではありません。
自分でやれることが増える反面、それでも「誰かがやってほしい」という、甘えたい欲求はなくならないわけです。
「依存」の時代は、そうした欲求を相手に直接ぶつけていました。
しかし「自立」しはじめると、そうした直接的な欲求をせずに、今度は「期待」するようになります。
「あの人が、こうしてくれたらいいな」、「私の願いを、かなえてくれたらいいな」、というように。
しかし、そうした願いは、ほとんど叶えられることはありません。
それは、そうですよね。
口に出していない以上、相手からしたらそのような願いがあること自体、知らないわけですから。
そうして、かすかに持っていた淡い「期待」が裏切られるたび、私たちは傷つきます。
そして、「もう二度と期待なんかしない!」と怒るわけです。
そして、いろいろな感情を抑圧していきます。
それを感じると、辛いから。しんどいから。
「だって、どうせ叶えてくれないんだから!」と怒ることで、感情を抑えていきます。
何度も何度も、それを繰り返していくと、やがて感情を感じられない、無気力な状態になってしまいます。
これが、「デッドゾーン」、あるいは燃え尽き症候群ともよばれる状態です。
そこでは、無気力、無感動になり、目の前の世界のが彩りをなくし、灰色の毎日が繰り返されるだけです。
時間の流れも、季節の移ろいも感じられず、ただただ、カタカタと動くぜんまい式の人形のように、毎日が繰り返されるだけです。
3.いつかの微笑みのように
「自立」の極北にある、「デッドゾーン」の心理。
忙しすぎて、頑張りすぎて、このような状態になってしまったことがある方も、いらっしゃるかもしれません。
しかし、その場所は、「誕生」と最も近い場所でもあります。
「誕生」というよりも、「再誕生」といった方が、近いのでしょうか。
新しい自分に、出会う場所。
そこを抜けると、世界は彩りを取り戻し、これまでの自分の生の過程を、すべて肯定できるようになったりします。
「デッドゾーン」とは、その前に通らなくてはならない、通過点のようなものなのでしょうか。
胸がはりさけるような悲しみ、嫉妬、ものすごい恐怖や怒り、攻撃性、脱力感、虚無感、むなしさ……。
引用文にあるような、このような感情を感じたときこそ、「誕生」の瞬間が近いのかもしれません。
思うに、私たちの肉体的な「誕生」もまた、このような地点を通ってきたのではないかと思うのです。
あたたかく安全な、母親の子宮。
そこから、産道を通って「誕生」するときに感じるものこそ、上に挙げたような感情なのかもしれません。
そして、外気に触れた瞬間から、赤子はあらん限りの力で泣き叫びます。
それは、安息の地を失った悲しみなのかもしれませんし、起こっていることが理解できないのかもしれません。
しかし、その泣き叫ぶ赤子を、笑顔で見つめている人たちがいます。
この世に生まれてきてくれて、ありがとう。
あなたがうまれてきてくれて、ほんとうによかった。
あなたが生まれてきたときも、そんな慈愛と祝福の目をもって、あなたを眺めていた人たちがいました。
「デッドゾーン」のすぐそばには、そんな「誕生」の姿があると思うのです。
胸がはりさけるような悲しみ、嫉妬、ものすごい恐怖や怒り、攻撃性、脱力感、虚無感、むなしさ……。
たとえ、そんな想いをする瞬間が、あなたの生のなかであっとしても。
そのすぐそばに、「誕生」があることは、どうか信じてください。
それは、あなたが生まれてきた日と、同じように。
今日も、ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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