自分を愛するとは、どんな姿の自分をも受け入れることです。
それは、日々変わりゆく月の満ち欠けを愛でることと、似ています。
1.自分の人生を引き受けるとは
昨日の記事では、自分の人生を引き受けるとは、というテーマでお伝えしました。
「自分の人生を引き受ける」とは、自分一人で生きようとすることじゃない。 - 大嵜直人のブログ
「すべての問題は自作自演」という金言があります。
人生のなかで起こる、さまざまな「問題」。
おなじできごとが起こっても、それを何とも思わない人もいれば、大問題だととらえる人もいます。
何を「問題」とするかは、百人百様です。
言い換えると、「問題」をつくっているのは、私たち自身といえます。
もし、私たち自身が「問題」をつくっているのであれば、それは自分自身で解決していくことができるはずです。
「すべての問題は自作自演」とは、自分を責める材料ではなく、私たちに主体性を示唆してくれる言葉です。
そうした見方をしていくと、どんな「問題」が起こっても、私たちは自分自身のすることを見失わなくて済むようになります。
それは、「『問題』も含めて、自分の人生である」と、自分自身の生を主体的に引き受ける態度でもあります。
完璧でなくても、完全でなくても。
いびつであっても、そのいまの自分自身が、自分そのものである、と。
それを受け入れることは、決して一人でなんとかしようとすることではありません。
自分自身を受け入れるほどに、誰かとともに歩むことが色濃くなっていきます。
昨日の記事では、そんなテーマをお伝えしました。
2.欠けた自分も満ちた自分も、すべて自分自身
これは、自分自身を愛することと似ています。
自分の人生を引き受けるとは、自分を愛することと同じほどの意味です。
自分を愛するとは。
自分の長所や優れている部分、あるいは輝かしい過去や、素晴らしい実績を愛することだけではありません。
そうではなくて、自分のなかのへこんだ部分、何かができない部分、あるいは恥をかいたり失敗した過去をも、愛することです。
もちろん、なかなか自分の嫌っている部分や、消し去りたい過去を、いきなり「愛する」ことは難しいのかもしれません。
「受け入れる」といった方が、近いのでしょう。
「これも、わたし」
そのいびつな形のままの自分自身を、受け入れていくことが、自分を愛することといえます。
そういえば、先日は中秋の名月で、ちょうど満月でした。
月は、日々その見える形を変えていきます。
まばゆいばかりに満ちている日もあれば、三日月のように欠けた日もあれば、まったく見えない日もあります。
満ちていようと、欠けていようと、ときにその姿が見えなくとも。
月が月であることには、変わりがありません。
そして、見上げればそこにいて、いつでも愛でることができる。
自分を愛する、受け入れるというのも、そういったイメージに近いものです。
3.変わることを怖れない
満ちても、わたし。
欠けても、自分。
ときに見失っても、わたし。
いま、そのままの自分自身を受け入れる、愛することは、私たちが生きる上でのとても根本的な部分を支えてくれます。
自分がそこにいることに、許可を出すこと。
そこにいてもいい。
そこにいてほしい。
そう、自分自身に伝えること。
それが、自分を愛することの根源的な部分なのでしょう。
ただ、その自分を受け入れることとは、「そのままでいい」というわけではありません。
「そのままの自分を受け入れること」と、「そのままでいいこと」とは同じではないのです。
もちろん、そのままでいいときもあります。
何も変えないでいい場合も、あるのでしょう。
けれども、「いまの自分」に変化が必要な場合は、そうではありません。
ときに、自分が怖いと思っていることにチャレンジしたり。
ときに、自分の知らない世界に飛び出してみたり。
ときに、自分のできないことを克服する努力をしてみたり。
ときに、誰かを深く理解しようとしてみたり。
そうした変化が、必要になる時があります。
そのタイミングは、きっとあなたの心の声が教えてくれるのでしょう。
たいせつなのは、そうした変化を怖れないことです。
何かが変わっても、移ろいだとしても。
あなたという存在の素晴らしさ、美しさは、失われることはないからです。
今日は、月の満ち欠けを愛でるように、変わりゆく自分を愛すること、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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