「感情はコントロールできない」といいますが、自立的な人ほど、それを認めることが苦手なものです。
しかし、できないことを認めることは、大きな自己受容の一つです。
1.「自分の感情に責任を持つ」
昨日の記事では、「アカウンタビリティ」の概念とその恩恵、そして自分の感情に責任を持つことと、感情をコントロールすることの違いについてお伝えしました。
自分の感情に責任を持つことと、感情をコントロールすることの違い。 - 大嵜直人のブログ
自分の感情に責任を持つこと。
それができると、私たちは誰かのせいにして生きることをやめられるという、大きな恩恵が生まれます。
それは、誰かを責めることの罪悪感から私たちを解放してくれます。
しかし、それは自分の感情をコントロールすることとは違います。
「こんなことを思ってはいけない」とか、「こう感じないとダメ」とか、そういった自分の感じていることへのコントロールは、逆に私たちを生きづらくさせます。
その行き着く先は、自分の感情に対して鈍感になったり、不感症になったりするものです。
「自分の感情に責任を持つ」とは、それをコントロールすることとは違います。
もちろん、自分の感情に振り回されたりすることとも違います。
「そうか、いま私は悲しいんだな」
「私は、こんなことを感じているんだな」
と、自分の感じていることに自覚的であることが、「自分の感情に責任を持つ」ことの大切な点です。
2.自立するほどに、難しい
とはいえ、口で言うのは簡単なのですが、感情はコントロール「できない」ことを「認める」というのは、なかなかに難しいものです。
真面目な人、素直な人、いい人をやってきた人、いろんな役割を持ってきた人ほど、その傾向が強いものです。
「こんな風に感じちゃいけない」
「こう思わないと、ダメだよね」
などなど、思考で自分の感じているものをコントロールしてしまうのですよね。
さらに言えば、自立的な人ほど、コントロールできないことを認めるのは、難しいものです。
そうです。
自立的な人は、なんでも自分でやろうとしますし、自分でなんでもコントロールしたがるからです。
だから、自分の感情も、コントロールしようとしてしまうわけです。
それは、ある意味で怖いからそうしている、一種の自己防衛ともいえます。
だって、自立的な人ほど、依存時代にひどく傷ついた経験があるからです。
もう、あんなしんどい感情やつらい想いは味わいたくないからこそ、コントロールしたくもなります。
そう考えてみると。
自立的な人ほど、自分の感情をコントロールしたがり、それゆえに「自分の感情に責任を持つ」ことから遠ざかっていたりするものです。
3.「できない」ことを「認める」のは、自己受容
感情はコントロールできない。
その「できない」ことを「認める」のが、自立的な人にとっては難しいものです。
なんだか、負けた気がするし、屈辱的に感じるから。
けれど、真実はその逆なんですよね。
「できない」ことを「認める」のは、大きな自己受容です。
私たちは自立するほどに、自分が「できない」ことを「できるようにならないといけない」と思い込んでしまうものです。
私たちは一人一人、それぞれに違うパーソナリティを持っています。
それを、無理矢理に矯正しようとすると、とたんにしんどくなります。
生まれ持った形、そのままで生きられず、型に嵌められているような、そんな窮屈さを感じるものです。
けれども、「できない」ことを「できない」と認めることができると、少し世界が違って見えてきます。
感情はコントロールできない。
それを認めることができたならば、ただそれがあることを感じて、流していくだけ。
それは、ただ季節が流れていくのに任せるような感覚と、同じなのかもしれません。
あるいは、自分には、こんなことができない。
それを認めることができたならば、誰かを頼ってもいいし、それができるように努力してもいい。
その選択権が自分自身にあることに気づくと、肩の荷が下りたように感じたりするものです。
「できない」ことを「認める」ことは、大きな自己受容の一つです。
それは、感情はコントロールできない、ということに限らず、いろんな場面で役に立つ考え方です。
「できない」ことを「認める」ことができてこそ、自分自身がそれに対してどうアプローチするかを、決めることができるわけですから。
今日は、できないことを認めることは、大きな自己受容の一つ、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
〇大嵜直人のカウンセリングの詳細・お申込みはこちらからどうぞ。
※ただいま7月度の個人カウンセリングを募集中となります。
〇カウンセリングのご感想のまとめはこちら。