大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

この春のように、混沌なかにあるときこそ、生命が芽吹くとき。

4月に入りました。

「春爛漫」という表現が、まさにぴったりの陽気。

お花見日和、とも言えるかもしれません。

足元に目をやれば、冬を越してニョキニョキと草が伸びはじめ。

見上げれば、霞のかかったような空が広がり。

このどこかぼんやりとして、輪郭のにじんだ感じが、私にとって春を強く感じさせてくれます。

それは、このまさに「春爛漫」という時期に、最も強く感じられるようです。

もう少しすると、天地万物が清らかな「清明」の時候に移り、すぐに心地よい新緑の季節がやってきます。

いまの時期が、いちばん春らしい、といえるのかもしれません。

 

草木が芽吹き、生きとし生けるものが動き始める、春。

その時期に、このぼやけた感触があるのは、実に興味深いものです。

同じような気温の秋の空気は、どこまでも澄んで、呼吸をするだけで身体が清浄になる気がするのに。

その反対に、春のぼんやりとした感じは、どこかそれだけでエネルギーを使うというか。

あるいは、どこか混沌としているというか。

生命が芽吹く時期と、それが終わりに向かう時期との違いなのかもしれません。

 

考えてみれば。

人の生を季節になぞらえたときに、春の季節は、混沌としているようにも思います。

この世に生を享けてから、思春期を過ぎるあたりでしょうか。

もちろん、残暑厳しい秋や、台風がやってくる秋なんかも、ありますけれどね笑

それでも、やはり生命の芽吹きというのは、混沌とともに訪れるようにも思うのです。

 

そう考えてみると。

先が見えなくて、視界がぼやけているとき。

わけのわからない、混沌や混乱のなかにいるとき。

そうしたときが、もっとも生命の力が芽吹いているときのように思うのです。

それは、自分自身の設定した枠の、外に出ようとしているときとも言えるのですから。

分からなくて、混沌として、あたりまえ。

この春の季節のように、新しい世界を開こうとしているのですから。

 

いま、先が見えなくても、だいじょうぶ。

先々が見通せなくても、だいじょうぶ。

混乱や混沌のなかにいても、だいじょうぶ。

この麗らかな春もまた、同じようなものなのですから。

混沌のなかにあるときこそ、新しい生命は芽吹きます。

ただ、芽吹く草木を眺めるように。

ただ、霞がかった空を見上げるように。

過ぎゆく春に、身を浸すように。

あなたはただ、そのままでいいんです。